トム・ゴドウィン他『冷たい方程式』〜表題作がほぼ完璧な作品。


トム・ゴドウィン他『冷たい方程式 SFマガジン・ベスト 1』(伊藤典夫浅倉久志編)

収録作品は以下の通り。

●接触汚染(キャサリン・マクレイン)
●大いなる祖先(F・L・ウォーレス)
●過去へ来た男(ポール・アンダースン
●祈り(アルフレッド・ベスター
●操作規則(ロバート・シェクリイ
●冷たい方程式(トム・ゴドウィン
●信念(アイザック・アシモフ

いずれも良作だが、世評の通り、表題作が図抜けている。
一つのモデル的状況を描いたほぼ完璧な作品。乗組員のやり取りの無駄の無さと、"密航者"の情緒的な饒舌とは、テーマが要求する必然。ラストもそれしかない形------クルーの行動も、密航者が遂に本当には自分の運命を決めた状況を理解し得ないことも。


続く作品としては、少し離れて、アシモフ御大の「信念」。
皮肉な視点と切り口の鮮やかさは「接触汚染」や「大いなる祖先」と比べてやや落ちる作品だが、そこに作者一流のユーモアが満ちている点で、大顔合わせの一冊の中でも、書き手としての格の違いを感じさせる。


「接触汚染」「大いなる祖先」は、そのアイディアの鋭さは読めば誰にでも伝わる。
ただ、《センス・オブ・ワンダー》の精神というものは、そうした発想で強烈な問題を提起し、あるいは固定観念を抉ってみせた後で------それぞれのラストの後で------《その上で、どうする?》という物語が更に立ち上がった時、初めて真に輝かしい光を放つものだと思える。
あるいは、こうした形で話を止めるなら止めるで、サキやロアルド・ダールやヘンリー・スレッサーとまでは無論いかなくても、それぞれ固有の個性を備えた洗練や洒落っ気が欲しい。特にその要素に関していえば、短編集の冒頭に「接触汚染」を置くのは構成としてどうかと思う。どこまでが原作の責任で、どれくらいが翻訳のせいであるのかは不明だが、書き出しからしばらくの間、随分野暮ったい小説だと思う。
ただ、「接触汚染」は1950年に書かれた作品だが、その発想はその後、学問としては免疫をめぐる自然科学分野の研究、SF小説では神林長平の諸作品などがより深く、より緻密に展開させていっている。そうした流れを予告する作品としては、確かに巻頭を飾るに相応しい作品であるのかもしれない。