宮部みゆき『天狗風』〜作品としてはどうしても好きになれない。しかし、背景にある、《挑戦の精神》は、心から尊敬せずにはいられない。


天狗風 霊験お初捕物控(二) (講談社文庫)

"霊験お初"シリーズは、第一作『震える岩』も含めて、どうも今の自分にとって相性が悪いようだと思う。
宮部作品の中で非常に数少ない、あまり好きになれない作品。申し訳ないのだけれど、六割くらい読んだところで飛ばし読みでラストの対決まで見てしまい、その後で間も読んでいった、という形になった。

以下は、その上での感想。


まさに解説で書かれているような、作品の意図は大体はわかる-------と思う。
しかし、同様に"超能力"をギミックにしてフェア・アンフェアの問題を扱う宮部作品-------『龍は眠る』『蒲生邸事件』『クロスファイア』といった傑作群、更に、象徴的に扱われる「鍵開け」の技能や催眠術も"超能力"と同様の位置づけであるとすれば-------様々な粗さはありながらも、それでもなお、宮部作品のベスト1長編(短編におけるベスト1は、『幻色江戸ごよみ』の「神無月」)と思える大傑作-------『魔術はささやく』といったものと比べると、いかにもバランスが悪い。
即ち、"超常の力"は、単なる比喩を越えて世界を構築し過ぎ、それを通じて扱われる課題への姿勢は------本作のラストの対決など、その典型だと思えるのだけれど------あまりにも直球そのままで、《答え》を出してしまい過ぎる。


あえていうなら、初期の宮部作品で、いずれもそうした力や、《純粋さ、潔癖さとそれゆえの怒り》という要素------これも、ある種の力だ-----の担い手を《少年》にしたことは、実に正しい判断だったと思う。
そして、その例外となった『クロスファイア』では、《少女》ではなく《女性》にしたのも大正解だった。
……逆に言えば、担い手が《少女》であるのは、正に宮部みゆき自身がさまざまな場所で語ってきた、《少年》を主人公にしてきた事情をそのまま裏返した理由で------現段階においては------あまりうまくいっているようには見えない。


しかし、あまりにも当然のことながら、このシリーズは、そうしたことは全て分かった上での《それでも》という挑戦なのだと思う。二つの作品自体はどうしてもあまり好きにはなれない。しかし、その背景にある《それでも》の精神は、心から好きにならずにはいられない。


思い返せば、種類の違う《挑戦》ではあったが、『理由』の時も同じような感想を持った。
『理由』は、《一度、とことんまで、中心の事件に関わる《周辺》を描けるだけ描き尽くしてみたい》という、その作風が必然的に命じずにはいられなかった課題を、そのまま具現化させた作品だったと思う。そして、正直言って、『理由』もまた、単体の作品としては、宮部作品のベスト10に入るような出来では決して無いと思えた。
しかし、その時にも、そうして挑戦すべき壁があれば、真正面からぶつかっていかずにはいられない作者の姿には、心底、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。


そして、そういう人だからこそ、自分にとって宮部みゆきは、現役のミステリ作家の中で、北村薫に次いで二番目に好きな作家であり続けているのだと思う。