「新釈おとぎばなし 第一回」

なんだかここしばらく、まとまった文章が到底書けないし、書ける気がしない…。
仕方が無いので、リハビリとでも思って、簡単なメモを色々と書いていくことに。


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さて、本題。
「新釈おとぎばなし」第一回(『メフィスト』 小説現代9月増刊号(2004年))について。

「死んでこそのキリギリスだが、おかげをこうむって、もし来年の夏まで生き延びたら、今度はせっせと働くのだろうか。そうなったら、もはや彼はキリギリスではないだろう。」


「おかげをこうむって」という下りが、北村薫の怖さ。
そうしたものへの怒りを抑えた《抗議》と、「あちらでは《ロード》といい、こちらでは《道路》」というような稚気、そして色濃いリリシズムが溶け合った物語が、いつもの如く、ひたすらに美しいと思う。

「いや、耳無きカンナまでが、花の色の赤みを太陽のように増し、葉を切なげに揺らしているではありませんか。」


北村作品、豆知識。
「カンナ」といえば、「山眠る」(『朝霧』)の、

「---《逃げたいと思う心カンナ咲く真昼間の闇》」

がすぐに思い浮かぶ

この二つの場面を合わせて考えると、北村薫にとって「カンナ」という花がどういうイメージを持った存在なのかがなんとなく伝わってくる。

烈々たる真夏の日差しの中、その熱よりもなお、燃えるように赤い花(俳句においてカンナが詠み込まれるときの多くは「カンナ燃ゆ」とされるのだとか)。
それは単なる"熱い情熱"というのみならず、なにか逆らい難く心を引き込み、惑わす、いわばホセの眼に映るカルメンのようなイメージなのだろうか。


■カンナに関する諸々。

花言葉」・・・情熱、快活といったものとともに、《妄想》というのがある。
あまりにも強烈で幻想的なその色からだという。
勿論、北村薫はそれを知っているのだろう。

「神話」・・・インドの神話では、仏陀の足から流れ出た血から、カンナが生まれたのだといわれる。
参考

他の動植物で北村作品に関わるこうした豆知識の対象としては、《蛇》、《百合》といったものが明らかに重要だが、それはまた別の機会にでもメモすることにする。

■昭和30年発行★別冊宝石46【世界探偵小説全集12】『ディクソン・カー篇』ゲット!!やった!!
(8/17追記)