『ドッグヴィル』〜ドストエフスキー「大審問官」(『カラマーゾフの兄弟』)の一種の翻案?

大胆な演出やキャストの演技には興味を惹かれたものの、キリスト教と深く絡んだテーマ自体にはおよそ共感出来なかった。


真の主題はおそらく、よくいわれるアメリカ批判などではなく、そうした外形をまとっての救い主ジーザス・クライストを巡る、キリスト教の信仰に関する問題なのだろう。
ただ、そうした題材を扱うのであれば、その眼は外部への批判を通してでなく、まず何よりも自己の内面にこそ厳しく向けられるべきではないかと思う。


また、この映画のテーマの中核を為しているのであろう、「贖罪(redemption)」「犠牲(sacrifice)」「受難(Passion)」といった観念への問題意識は------ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』における「大審問官」のエピソードのように、もはや抵抗しがたい圧倒的な力業で巻き込まれるのでない限り-------自らにも通ずる問題として真剣に受け止める意欲が強くは湧き難い。


ちなみに、以上の評価をそのまま反転させた理由で-------同じく「大審問官」のテーマの翻案なのだと思える------秋山瑞人猫の地球儀』は傑作だと思う。
あの主題を自己流に------日本人のSF/ライトノベル作家としての自らの資質とその作品を発表する《場》と《読者》に合うカタチで------《科学と夢と天才と知的好奇心の徹底的な探究とは、それに参画できない凡人の犠牲とその軽視、更に突き詰めればその存在自体に支えられている。それでもその夢を追いたいか》と読み替えてみせた手際には感嘆する他ない。


なお、この映画はMixiで勧められたもので、感想の主要部分もその方の映画評を下敷きにして書いてみることになったので、詳しい内容はMixi内で。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=136337091&owner_id=211281