『マラーホフの贈り物』Bプログラム/マリーヤ姐さん、再び。

マラーホフの贈り物』、先日のAプログラムに続き、Bプログラムにも行ってきました。
2月20日、東京国際フォーラムCホール、19時からの公演でした。

……ええ、平日ですので、本当は行く予定では無かったのですが。
でもですね、ヤフーオークションの画面を見てると、唐突に脳裏にAプログラムで観た、マリーヤ姐さんの勇姿が浮かびあがって来たんですよ。

《そこで入札しろ!私の可憐優美な『シンデレラ』を観たくはないのか!いや、観に来なければ殺す!獄門打ち首市中引き回しの刑に処す!地獄にも追いかけていって責めさいなんでやる!七生追いかけて祟ってやる!》
そんな声なき声が聞こえましてね。ええ、脳内妄想として。

※その時のイメージ画像↓

(『パラス・アテネグスタフ・クリムト作)
ちなみに、
《オットコマエー!!》なマリーヤ姐さんへの尽きぬ賛美に満ちたAプログラムの感想はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20080220


はい、それで私としても決意致しましたとも。
退社時間がなんだ!!そんなもの、どうにかしようと本気でなんとかしようと思えばなんとかなる。
……これはぜひ、見届けなければなるまい、と。
勇壮剛健凄絶無頼、世に隠れも無き豪勇なる万夫不当のダンサー、マリーヤ・アレクサンドロワ姐さんの『シンデレラ』を!!
そしてまぁ、あとモノのついでに、「牧神の午後」の別バージョンもね、と(いや、本当はむしろこちらへの興味がメインだったのですが、話の流れ的についこういう表現に……)。


まぁ、なにはともあれ。
この日のプログラムと全体の感想、次いでそれぞれのレビューを書いていきたいと思います。

《『マラーホフの贈り物』Bプログラム》
=第一部=
「牧神の午後」(ジェローム・ロビンズ版)
ポリーナ・セミオノワ、ウラジーミル・マラーホフ
「グラン・パ・クラシック」
ヤーナ・サレンコ、ズデネク・コンヴァリーナ
ハムレット
マリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン
白鳥の湖」より“黒鳥のパ・ド・ドゥ”
イリーナ・ドヴォロヴェンコ、マクシム・ベロツェルコフスキー


=第二部=
「バレエ・インペリアル」
ポリーナ・セミオノワ、ウラジーミル・マラーホフ
ほか東京バレエ団


=第三部=
「シンデレラ」
マリーヤ・アレクサンドロワ、セルゲイ・フィーリン
「アポロ」
イリーナ・ドヴォロヴェンコ、マクシム・ベロツェルコフスキー
ドン・キホーテ
ヤーナ・サレンコ、ズデネク・コンヴァリーナ
「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ」
ウラジミール・マラーホフ

えーと、いきなり結論から申しますと、やはりマリーヤ姐さんは豪快でした。
ですが、前回ほど圧倒的に一人で舞台の主役を掻っ攫っていってしまったわけではありませんでした。『シンデレラ』なんて、驚きの艶麗さでしたよ……超積極的で、実に自立心に富んでいそうなシンデレラでしたが。


一方、Aプログラムでははっきりいって影が薄かったマラーホフ以外の男性ダンサーさんたちは、このBプログラムでは大変お元気そうでした。
特にズデネク・コンヴァリーナ。今回はなんといってもズデネク兄貴です。前回と気合が違いましたよ、この人。


主役のマラーホフ先生については……ええと、私はAプログラムのマラ様(他の方の日記等でたまに見かけますが、凄い愛称ですねこれ。絶対漢字変換とかしてはいけないという嫌なオーラが出てます)の方が好きでしたね。。。



ともあれ、以下、各演目についてです。


「牧神の午後(ジェローム・ロビンズ版)」


青い紗のような幕で囲まれた、眼に痛いほどに強い照明に白く浮き上がる閉ざされたシンプルな空間。壁には幾つかの鏡を模した青い切り抜き部分。
なんともキューブリック的な舞台セットです。


床に一人横たわるのは、上半身は裸、下半身はタイツという簡素な稽古着姿の男性ダンサー。
彼は客席方向に鏡があると見立て、自らの優美な肉体と踊りを誇示するように、ナルシスティックなポーズを次々と試していきます。


幕が開いた次の瞬間からの、マラーホフが浮かべる《自らに魅入られたような目つき》は実に印象的でした。この人は、跳ばなくとも、回らずとも、劇場の空気を一瞬で変えられる踊り手なのだと実感させられます。


そこに青い幕の外から入ってくるのは一人の女。
こちらも簡素なトレーニング姿。全く飾り気の無い灰色のレオタード。
しかし女は、男に気づく様子がありません。
やはり客席方向にあると見立てた鏡に向け、同様に自己陶酔的なポーズを試していきます。


互いに自己の美に埋没する二人はやがて、体が触れ合ってしまうことで、お互いを認識します。
素っ気無い態度を続ける女に対し、自分にその目を振り向かせようというのか、執拗にアプローチを続ける男。
やがて、男は遂に、女に口づけをします。
すると、女は突然目が醒めたような表情となり、はじめてそこに男が存在することに気づいたように、彼を一瞥します。
……しかし、女はそのまま稽古場から歩み去っていってしまうのです。
取り残された男は、放心したような面持ちで独り、自慰に耽る……


あまりにもキューブリック的な舞台はつまり、これがあくまで《男》一人の内面世界だということの表現なのでしょうか。
即ち、舞台には終始独りの人間しかおらず。《女》は《男》の自己愛のもう一面の姿、ありていにいえば妄想に過ぎない。
なればこそ、その虚像に口付けするという行為に及んだとき、《女》は《男》の妄想としてのカタチを失い、その場に留まれなくなってしまう。
その後《男》はその面影を用いて自慰に耽るのだが、それはカタチとしての終止符を打つ行為に過ぎず、いわばこの舞台そのものが、その全てがあまりにもナルシスティックな《男》の自慰行為そのものであり。
この舞台はその姿を通じて、芸術の表現者というものが持つ、あるいは持たなければいけない自己への盲愛を鮮烈に描き出しているのかもしれない。また、現代において《神話》とは、芸術の深奥に触れた選ばれた者の狂気にも近い幻想/妄想の中にしか存在し得ないことも示唆しているのかもしれない……


この舞台について、私はそんな印象を抱きました。
まぁ、《女》が《男》の妄想であるのか、あるいは互いに自己しか観ず、同じ場所にいながら相手を観る事をしない《男》と《女》のペアであるのかは確信が持てませんが。


ともあれ、大変興味深い舞台でしたが……でも、個人的な好みとしてはAプログラムでのニジンスキー版の方が好きですね。


本来、牧神パンは野生的で乱暴な半神でもある筈ですが、マラーホフが演じるとなんとも高貴で神々しい《全身これ神様》という雰囲気になってしまう(関係ありませんが、萩尾望都『半神』は傑作ですね。野田秀樹の舞台版は未見なのですが……)。
それはある意味ニジンスキー版の元来の演出意図とは違うかもしれないのですが、だとしたところで、マラーホフ以外ではちょっと考えられない、実に魅力ある空間を作り上げていたと思えました。

ちなみに、一応の参考として。
相当古いものですが、ロビンズ版『牧神の午後』の映像だそうです。

「グラン・パ・クラシック」

「クラシック」の名を冠する通り、実に古典的・正統的な《跳ぶ》《回る》《踊る》テクニックの一大展覧会のような演目でした。
それらの動きを抑えに抑えることが眼目の「牧神の午後」に続く演目として、カタルシスを感じさせてくれる構成になっています。


そしてこの日のズデネク・コンヴァリーナはAプログラムとは到底同一人物とは思えないくらい、動きの一つ一つにキレがあったと思います。……実に華麗で、優雅でした。この演目に対する感想はそれに尽きます。


この後の演目全体がそうでしたが、Aプログラムが女性ダンサーたちの日であるとしたら、このBプログラムは男性ダンサーたちの日となりました。
……まぁ、後に書くように、マリーヤ姐さんの組だけは多少力関係に動きはありましたが、依然として姐さんの舞台でしたけどね。


ハムレット

さて、お待ちかね。
マリーヤ姐さんが遂に、我々臣民の待つ舞台へと御降臨下さいました(感涙)。
そう、正に降臨なのです。なぜか。女帝だからですよ、女帝。
これ、ハムレットハムレットでも、「ロシアン・ハムレット」なんですよ。

「現代ロシアを代表する振付家の一人、ボリス・エイフマンによる全2幕のバレエ。初演は1999年ボリショイ劇場。原題の『ロシアン・ハムレット』とは、ロマノフ王朝女帝エカテリーナ2世の息子、バーヴェル1世のこと。幼いころから、権力をめぐる策略が渦巻くなかで、未来の為政者として育てられてきた皇太子バーヴェルは、母エカテリーナが恋人と共謀し、夫である皇帝ピョートル3世を暗殺する現場を目撃してしまう。エカテリーナは女帝として絶対的な権力をふるうが、その重みと孤独が次第に彼女を苦しめていく。しかし、彼女はバーヴェルが皇位を継ぐことを阻み、バーヴェルは彼女のさまざまな計略に巻き込まれる。そんな彼の前に、父ピョートル3世は幽霊となって現れ、バーヴェルは母への憎しみを募らせていく……。
華やかなロマノフ王朝の宮廷を舞台に繰り広げられる、女帝と皇太子の過酷な運命と愛憎をドラマティックに描き出した作品」(パンフレットの演目紹介より)
と、いうわけで……。
いや、もう、思う存分堪能しましたよ。マリーヤ姐さんの女帝っぷりを!
息子をあしらう、一枚も二枚も上手の母。
年齢も立場も人間としての力も、女帝は皇太子より遥かに上なのです。
そうした関係が踊りで表されるのが実に面白いんですね。
マリーヤ姐さんが思いっきりセルゲイ・フィーリンを組み伏せたり、足で踏みつけたり、なんか組み体操みたいにして足で支えさせた上でポーズ取ったり……いやぁ、いいもの観ました。
私もぜひ、マリーヤ姐さんに組み伏せられたり足蹴にされたりしてみたいですね。実に羨ましい。


最後には、なにごとかを嘆願する皇太子を、女帝が峻烈に拒絶して幕が降ります。
こうした《気品と力に満ちた強い女》を演じさせれば、マリーヤ姐さんの右に出る人間はきっといないでしょう。見事な舞台でした。


白鳥の湖」より“黒鳥のパ・ド・ドゥ”


えーと……はい、普通の「黒鳥」でしたね。
いや、これが《普通》といえるほど今まで何十羽もの黒鳥を観てきたわけではないんですが、Aプログラムのマリーヤ姐さんと比べてしまうと、もう《普通》だとしか……。


その違いを簡単に言えばですね。
それぞれの黒鳥、幕が降りてからやることがまるで違うと思うんですよ。


まず、イリーナ・ドヴォロヴェンコのオディールさんの場合。
まぁ、なにはさておき、一目散にボスであるロットバルトのところにご報告に馳せ参じるのでしょうね。


《ねぇ、観て頂けましたこと?王子はもはや私の虜。褒めてくださいましな、ロットバルト様》


と、こんな具合。実に普通です。
しかし、マリーヤ・アレクサンドロワ姐さんのオディールは一味違いますよ。
続く場面はもう、こうなるとしか思えません。


《王子はもはや我が虜も同然。王国も早晩我が手に落ちよう。
 あの義母(ははうえ)など何ら障害にもならぬわ。
               、、          、、
 ……さて、ロットバルトさま……あなたさまももはや、用済みでございますねぇ》


「バレエ・インペリアル」


……つまらなかったです。


私の感想としては正直、それに尽きます。
他に特に書くべきことが思い当たりません。


ただ、実はそれだからこそ、これを《面白かった!》と強く褒める他の方のレビューを読んでみたくもあります。


どうしてかというと、これが《つまらなかった》のは舞台ではなく、観客の私の側にこそ問題がある可能性がかなり強いからです。
例えば『牧神の午後』を観て《跳んだり回ったりしないからツマラナイ!》と言われても、《はぁ。お前、分かってないナァ》と呆れられてしまうわけですよね。
そして、《あえて跳ばない、回らない》ことの意味や歴史的背景を説明されて、それでもって《なるほど!そう観れば面白いのか!》となるわけです。
これもおそらく、そんな話なのではないかな、と。


……だって、そうとでも思わなければ、あまりにもどうしようもなさすぎる舞台だったということになってしまいますから。
マラーホフがそんなものを《贈り物》にするわけがないでしょう。
そう思います。


※2/21 朝追記


ああ、そうか!これが《あの》ジョージ・バランシンですか!!
山岸凉子『黒鳥 -ブラック・スワン』のミスターB。
事情があって斜め読みした、何冊かのバレエの歴史や発展の概略本に書いてあった話……。
ストーリー性やキャラクターの情感を排除した抽象バレエ、「目に見える音楽」……そうですか、これが、あの……。


いやぁ、他のどんな分野でもそうですけれど、説明を聞くのと実際に目で観るのとは大違いですね……。


そうかそうか。なるほど。
例えば先ほど書いた『牧神の午後』の私の感想。
いわば、そもそもああいった観方に偏りすぎることに対するアンチテーゼでもあるわけで。
それは感覚が合わなくて当たり前です。だって、そもそもの意図が、私みたいな連中を苛立たせ、挑発するものでもあるのでしょうから。
また、《テーマやストーリー、意味などなくとも、ダンスはただ優れたダンスであるだけでも美しい》と。まだよく理解など出来てはいませんが、これはおそらく、そういった力強い切実な主張でもあり……。


そうか、そうか、これがバランシンかぁ……。


いや、やはり、観客であるこちらの準備というか、心構えと言うか、備えているべき前提条件というか。明らかにそこらへんに問題があったようです。なるほど。そうだったのか。

「シンデレラ」
マリーヤ姐さんが再び舞台に降臨。使徒、再び。


いやぁ、もう……実に情熱的かつ積極的、そしておそらくは強烈な自立心に富んだシンデレラでしたねぇ……。
シンデレラと王子の踊りなのだと思われるのですが、どうも終始一貫して主導権がシンデレラに握られていたようで。
さぞかしお后様の権限が強い王国が出来上がるのでしょうねぇ。
でも、住んでみたいな、そんな国。


しかしですね。この演目でのマリーヤ姐さんは実に艶麗で、優美ですらあり……。
つまりは《女性》としての魅力が強く立ち上っていたんですよ。実に驚くべきことに。
ええ、こういう面もあるんですね。惚れ直しましたぜ、姐御。


……そしてさすがですね、姐さん。
二人して寝転がり、熱いベーゼを交わしたままゴロリゴロリと数回転。
極東の島国に生きる慎ましい人々には到底成し難いであろう、情熱のマグマが噴火せんばかりの熱いお姿に心より感嘆致しました。
いいものを観させて頂きました。一生の宝に致します。はい。


ただですねぇ。どうにもマリーヤ姐さんの「シンデレラ」を観ているとですね、ある曲のことが頭に浮かんで仕方ありませんでした。


……そういうわけでマリーヤ姐さんのファンの方は是非聴いてみてください。
歌手は坂本真綾さん、「24 -twenty four-」です。
なぜそんな連想に至ったのかは、歌詞を聴いて頂ければ大体分かって頂けるかと思います。


坂本真綾24 -twenty four-

※歌詞(テキスト版)はこちら。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND49878/index.html
ちなみに作詞はフェイ・ウォンが歌ったファイナルファンタジー?のエンディングを飾った名曲「EYES ON ME」の染谷和美さんです。


※「EYES ON ME」

正直言って「EYES ON ME」には遠く及びませんが、こちらも素晴らしい歌詞です。
それと色々調べたんですがこの人、この二曲以外の作詞曲が見つからないんですよね。
これだけのものを作りながら……-とても不思議な方です。
まぁ、別名義で活動されているだけかもしれませんが。


それと更に脱線ですみませんが、この『EYES ON ME』。いい和訳ってないものかなぁ、と良く思います。思わず自分でもやろうとしたりしてしまったんですが、なんとも酷いシロモノにしかならなくて。こちらの日記の一番下なんですけどね……。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=716678149&owner_id=211281
ちなみに、↑の日記では、ちょっと面白い《踊り》の映像をご紹介させて頂いています。
それはまぁ、バレエとはおよそ全くもって関係ありませんが、たまにはこうしたものも楽しいと思いませんか?


「アポロ」

「この作品は若い音楽の神アポロと3人の女神、詩の女神カリオペ、マイムの女神ポリヒムニア、歌と踊りの女神テレプシコールの物語である」(パンフレットより)
アポロはアテナと並ぶ、理知を象徴する神。
また、音楽をはじめとする芸術・技芸の神でもあります。
その神が一柱の女神に恋をしてしまう(今日の舞台に出てきたのは一柱の女神だけでしたが、どの女神だったんでしょうね。あまり知識がないのでわからないのですが)……。


マクシム・ベロツェルコフスキーが踊ったのは、神としての高貴な威厳を漂わせ、知と理性をもって自らを抑えようと苦闘しつつ、抑えがたい情熱に突き動かされて激しく女神を追うアポロの姿でした。
そう、思えば人を狂わせる情熱の暴走を《パニック》……聴くものを狂い躍らせる牧神パンの笛の音こそが語源……と呼ぶのでした。
そう思う時、「牧神の午後」を中心とするプログラムにおいて、ニジンスキー版の神話性が剥奪されたロビンズ版の寂しさを別の方面から補完するものとして、この「アポロ」は正に適切な演目なのかもしれない、などとも思わされます(まぁ、アポロに対する神は普通、デュオニソス(バッカス)ですけどね)。
ともあれ、このマクシム・ベロツェルコフスキーもまた、実に見事な踊りっぷりだったと思います。やはり、Aプログラムとは到底比較にならない出来でした。


ドン・キホーテ

《陽気だねっ、楽しいねっ♪
 へゝドンキだね♪
 へゝドンキだね♪》
※のんき節
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hokugen/DODOno/nonki/nonki.html
石田一松
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%80%E6%9D%BE
※だから、厄介な説明が必要な上にあまりにマニアック過ぎるギャグなど下の下だと……(自己ツッコミ)
……ええ、そんな風にのんきに楽しんでいたら、男性ソロになってひっくり返りましたよ。
はい、ズデネク・コンヴァリーナです。あの野郎です。


上演表の裏の《演目変更のお知らせ》曰く、「出演者の都合により、「エスメラルダ」は「ドン・キホーテ」に変更になりました」という一言で、Aプログラムに引き続き「ドン・キホーテ」を踊ってきやがりましたズデネク・コンヴァリーナの野郎のことですよ。


といいますかね……前回のドンキは一体なんだったのかと。
なにがあった、ズデネク・コンヴァリーナ。
前回の出来が本人としても相当悔しかったのか。


ドン・キホーテ」はバレエを観始めて間もない頃、「世界バレエフェスティバル」でヴィエングセイ・ヴァルデス&ロメル・フロメタのあまりにもダイナミックな踊りに驚かされた思い出の演目です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=191601759&owner_id=211281
今回のズデネク・コンヴァリーナのドンキは、あるいはそれに匹敵するかと思わされるくらいの出来栄えでした。この日の拍手もあるいは、この人のこの演目が一番大きかったかもしれません。


しかしですねぇ……こんな踊りが出来るなら、Aプログラムでもやらんかい!(#゚Д゚)
Aプログラムだけしか観てなかったら、どんな印象になっちまったと思ってやがる(゚Д゚)ゴルァ!


「ラ・ヴィータ・ヌォーヴァ」


あれ。ちょっとAプログラムの時と違う?
最初の衣装の色とか。
ああ、でも、あまり感想は変わらないかな。
そういうわけで、感想は先日のAプログラム参照と言うことで。



……というわけで、以上、とりあえずの公演感想でした。


まぁ例によって今後、日記本文を色々書き足していったり、コメントを頂ければレスの中で色々「そういえばこんな話も……」とか内容がだんだん増えていくと思いますが。
だって、Aプログラムの感想もそうでしたから。