『フィニアンの虹』〜69歳のアステアの不可思議な優雅さ。

コッポラが監督し、老年のアステアが最後に主演したミュージカル映画、『フィニアンの虹』を観る。
69歳のアステアの不可思議な優雅さ------ほとんどもう、人間じゃないな、あれは。アステアが踊れば、空気も踊り、画面も踊る。特に中盤の待ちに待った何度目かのアステアのソロ、途中ステッキを持ってからはほんの僅かな間で終わってしまうが、あのステッキはそれこそ魔法の杖に見えた。

また、終幕近くの火事〜消火の場面、ああいう祝祭的馬鹿騒ぎは大好きだ。ストーリーと演出全般は、多少性質の悪い皮肉が利き過ぎている(特にクレジットカードの話など)ように思えるが、正直言って、この年になってもアステアは余りにもアステアであるということを観れれば、この映画はもう、それでいいじゃないか、十分じゃないか、とも思う。

なお、ストーリー全般の下地として、また映像の撮り方として、『夏の夜の夢』『テンペスト』の気配を感じるようにも思うが、まあ、それもどうでもいい。ついでにいえば、多少疲れている状態で観たこともあって(今日の5時間以上も続いた馬鹿研修のせいだ!)、中盤30分ほど意識が飛んでしまっていたようでもあったが、それも別にいいかとも思う。

ちなみに、大脱線になるが、この映画のアステアがみせたような年齢を超越した芸の力というのは、日本人ならば今もリアルタイムで眼にし、楽しむことが出来る。即ち、歌舞伎だ。
孫の初舞台では、もはや役者でもなんでもなく祖父の喜びを満面に浮べて肩車をして花道を下がっていった好々爺だった松嶋屋------片岡仁左衛門が、別の月には、アステア&ロジャースにも比すべき(個人的には『踊る紐育』でのエレノア・パウエルこそ、アステアのベスト・パートナーだと思うけれど)希代の名コンビ・坂東玉三郎との大顔合わせで心中の道行を演じてしまう。そしてその時には、間近で観ても<若き色男に見えてしまう。信じがたいことだが、事実だ(「間近で」というのは歌舞伎座は、幾つかの例外的な超人気公演------歌舞伎をそれなりの頻度で観に行くきっかけになった海老蔵襲名披露が群を抜いて価格が高く、勘三郎襲名披露もそれに比べればまだマシだった------を除いて、オークションだと定価やそれ以下でやたらといい席が取れたりするため。もっとも、そもそもの元値が高くはあるけど。なお、初心者であればあるほど(私自身も含めて)安い席、特に三階五列目以降などで観るのはお勧めできないと思う。「三階中央最前列花道より東寄り」などであれば、むしろお勧めだけれど。端的に言って、花道、特に七三のところをまともに観れなかったらと思うと、物凄く寂しくなりそうだった演目が、たかだか二年近く観てただけでも結構あったよ?助六とか籠釣瓶とか先代萩とか勧進帳とか…。どこかに「絶対花道を観れる席が必要な演目リスト」とかないのかな?ありそうだな・・・)。

坂田藤十郎歌舞伎座での襲名披露の『曽根崎心中』で息子を相手役にその最大の当たり役・お初を演じたが、息子より若く見えてしまうどころか、七十を大きく越えた老人が嘘偽り無く若い女性に観えてしまう時があったのは、もはや驚きを通り越して怖ろしかった。そう、あれは凄いというより、本当に怖かった・・・。数いる歌舞伎役者の中でもおそらく最も《人間的》な芸風の人で、襲名披露公演でも上方歌舞伎ならではの人間描写を強烈に前面に押し出した人をこんな風にいうのもなんだが、あれこそ《化け物》だとしか言い様が無い。・・・・・・ちなみにあの襲名披露公演は、日曜昼の最前列中央が定価で手に入ってしまったり、昼の部が余りにも気に入って駄目元で夜の部の当日券を買おうとしたら、その時点ですら一等から三等B席まで揃って残っていてあっさり買えてしまったという、興行的には大逆風の公演ではあったけれども、、、

無論、例えば中村勘三郎女形はともかく上手くはあるが、その二人ほどは非常識に若くは見えないなど、一流中の一流の歌舞伎役者でも誰も彼もがそんな魔法を使えるわけではないが、ともあれ、芸の力というのは本当に怖ろしい。(というか、上手い下手でいったら、この人が現役の全ての歌舞伎役者の中で一番上手いのだろう。ちなみに、襲名披露公演でのどの演目よりも、勘九郎最後の年の『一本刀土俵入』『仇ゆめ』などが素晴らしかったと思った)

・・・・・・しかし、そんなことを考えるとますます、フレッド・アステアというのはとんでもないダンサーだったと思わされる。何百年もの伝統の力に支えられた芸に匹敵するだけの、理屈を超えた超常の芸を、アステアはほとんど彼一代で磨き上げてみせたんだから。


以下、ついでに、昔観た映画のうち、特に書きやすく、かつ、印象に残った二組四作品の短評を書いてみる。