アメコミ『WATCHMEN(ウォッチメン)』

映画が大変面白かったので、

ウォッチメン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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原作コミックの日本語訳版と、Official Film Guideにも手を伸ばしてみました。
WATCHMEN ウォッチメン Official Film Guide (ShoPro Books)

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で、この原作コミック、素晴らしかった映画よりも、さらに数段面白いです。
これは凄い!!


特にCHAPTER2のコメディアンの葬儀あたりからずっと繰り出され続けていく、一つの言葉や事件が登場人物に与える影響が、時間も場所も一コマで行き来して描かれていく手法が鮮やか。


また、物語ることは自分の見地から世界を描き出すことですが、「ロールシャッハの日記」「仮面の下で」「黒の船」「ヴェイト式自己改革法のブックレット」等の"劇中作品とその作者の在り方"の描き方、そしてそれと物語の本筋が絡みあい描かれていく手際にはもう、ただただ拍手。


それと以下、題名とテーマと、<オバマ大統領が登場した現在>にも強く繋がる話ですが、物語のネタばれになるので、白文字表記。
映画かコミックのどちらかで、一通り物語を観終わった後にどうぞ。


※ただ、映画版に関しては、冒頭の<ヒーローが居たアメリカ史」がある意味最大の見せ場というか、 コメディアンがなぜ「コメディアン」なのかということで、 いきなり観る側を区分けしてくるような作りで。 「いいんかなー」と考えてしまったりしつつ、「いいなー」と思う映画です。

Watchmen opening」
http://vimeo.com/38649608

いろいろ分からなければ、<観て、帰って、いろいろ調べた後でもう一度>というのがお勧めですし、その価値が十二分にあるようにも思えますが、<二度も観るのは嫌だ>という向きには、上のオープニングのところの映像と、↓ここ
http://sljd.blog25.fc2.com/blog-entry-80.html
のまとめあたりで予習しておくのがお勧めかもしれません。

……しかし、改めて観ると「最後の晩餐」パロディなんか、いろいろと本当にヒドい。
頭が弱いの、レズカップル、ユダ(!)、懐胎プロセスにちょっと問題があったの、コキュ、一人置いて、ゲイカップル。うーん……。



p122、DR.マンハッタン。

「1961年9月。ジョン・F・ケネディと握手する。スーパーヒーローになった気分はどうかと尋ねられたので、ご存知でしょうと答える。彼は笑ってうなずく」
p364、オジマンディアス。
「"ケネディの演説原稿を読んだかね?""今、この地に集う我々は、好むと好まざるとかかわらず、世界の自由を守る城壁の見張り(ウォッチメン)となる宿命なのです"」行列が広場に入った時、彼はこの言葉を心の中で反芻していたのかもしれない 虐政の城壁の上からライフルが狙っていたとも知らずに」


ここでオジマンディアスが引用したのは、1963年11月22日、ダラスで行われるはずだったケネディ演説の最後の段落です。
http://www.justrluck.com/Kennedy.htm
そして、この演説文を読んでいくと面白いのは、その締めくくりの聖書からの引用です。
即ち、

"For as was written long ago: "except the Lord keep the city, the watchmen waketh but in vain."
その言葉を、「神は存在する。しかも、彼はアメリカ人だ」と言われたDR.マンハッタンが人類の在りように無関心になっていく姿、そしてそれを見るオジマンディアスの視線を重ね合わせるとより興味深いものがあります。
その虚しさの中に絶望するのを拒んだオジマンディアスはその名乗りの通り、
「我が名は
 オジマンディアス。
 王の中の王。
 神よ見よ、
 わが業を。
 かくて絶望せよ!」
 ----『オジマンディアス』
 パーシー・ビッシュ・シェリー
(p374)
と神に絶望を投げ返した、という構造になるんでしょう。


そして、<絶望を拒むならそうしかないのか>という自分の生き方に照らせば論理的には受け入れるしかない、しかしこればかりは受け入れられない認識に、コメディアンは深く深く絶望します。
ある意味で、コメディアンは物語の冒頭で殺される前に、既に<死に至る病>に侵されきっていたということになります。


コメディアンはJ.F.K暗殺も、ベトナム戦勝の日の惨劇も止めなかったDR.マンハッタンに絶望し(特に戦勝の日は明らかに止めることを期待していたのだと思います)、こうしてその認識により深く追いつめられた時、男性的な神にもキリストにも祈ることは出来ず、

「ああ聖母様……お許しください」
とすすり泣くことしか出来ません。


DR.マンハッタンは身近にいた者を癌にはしなかったわけですが、彼の存在そのものと彼の人間への無関心が、冷戦を極限までホットにし、コメディアンを殺し、オジマンディアスを走らせています。
巻末の彼の原型、キャプテン・アトムの作者説明にもある通り、「あらゆる問題が彼に起因している」という構造なんだなぁ、と。そう慨嘆させられます。


さて、この『Watchmen』の並行世界にも負けず劣らずというか、おそらくはより白黒分かち難い灰色のこの二一世紀の現実世界、古き良きノスタルジアは遥かに遠く、かつてのケネディ以来というような"スーパーヒーロー"であることを期待されてオバマ大統領が現れた、英雄のいない時代を経て、英雄を必要とする時代を迎えたのかもしれない世界はどうなるんでしょうか。
あまりにもありがちですが、そんなことも考えさせられる作品です。



なお、オジマンディアスの決断と行為についての作中での評価と見通しは、DR.マンハッタンの

「何事にも最後などありはしない」(p407)
という言葉と共に、p382のペイル・ホースコンサートの"11月2日の演目"で暗示されているように思えます。


「KRYSTALNACHT」------水晶の夜。


この「KRYSTALNACHT」は序盤のp30、壁の落書きとして、この物語に幾度となく響き続ける「Who watch the watchmen?(誰が見張りを見張るのか?)」と共に出されてもいます。



○どうでもいい話。


なんか映画『ウォッチメン』のオジマンディアスって、外見や雰囲気がなんとなくマラーホフ
http://www.emo.or.jp/emo/organ/vol39/presents.html


○ちょっとした話。
p10、右上コマでフーセンガムを膨らましてる人物の被っている帽子が、
大友克洋童夢』のあの帽子↓な感じ。