V林田『麻雀漫画50年史』感想

V林田『麻雀漫画50年史』感想。

麻雀漫画50年史

麻雀漫画50年史

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1:「何が言えるか」と同じか、あるいはきっとそれ以上に力を込めて「◯◯と言っているわけではない」「△△であるとは言い切れない」「××は誤った俗論である。根拠は~」といったことに注力された作品

2:『麻雀漫画50年史』の「凸凹で石ころだらけの道」な面白さについて

3:「この作者が編んだからこそ」の視点もきっと大いに取り入れられているのも大きな魅力

4:この本自体の面白さに加えて、これまで読んできた幾つもの漫画がより面白く思えてくるというなんだかお得な効果が発生

5:ジャンルの通史を読む楽しみ。意外な名前が出て来る驚きや、意外な関係な深さを知る面白さ。

 

1:「何が言えるか」と同じか、あるいはきっとそれ以上に力を込めて「◯◯と言っているわけではない」「△△であるとは言い切れない」「××は誤った俗論である。根拠は~」といったことに注力された作品

最初の感想としてまず、この本全体がとても好きなのだけれど。

その理由は第一に「何が言えるか」と同じか、あるいはきっとそれ以上に力を込めて「◯◯と言っているわけではない」「△△であるとは言い切れない」「××は誤った俗論である。根拠は~」といったことに注力し続けていること。

最後の「謝辞」まで来て『土偶を読むを読む』の名前が挙げられたのには、ある種の答え合わせといった観があると思えたりもした。

また、その姿勢は(web無料公開もされている)「はじめに」でも表明されているものでもあると思えた。

きっと著者について事前に一切何も知らなくても、無料公開されてる「はじめに」を読んだ時点で、それだけで「これはまず間違いなく面白いし、好きな本だ」と感じたと思う。
麻雀漫画というジャンルの立ち位置、この本は何を書き、そして何を書く気が一切無いか。

こうした姿勢はなんらかの通史では勿論のこと、なんにせよジャンルなり作品なり研究なり大体何に対してにせよ、それについて「正しく理解を深めたい。伝えたい」と思い願うなら必須の、ごくごく基本的なものと思えるのだけど。そうあって欲しいと心底願って止まないのだけれど。
各種のノンフィクションを(といってもあくまで自分が読んでいるごく僅かなものに限った話だけど)……職業ライターだけでなく、高名な科学者や人文系の学者が書いたものも含めて……読んでみると、そうした姿勢がこれくらい守り抜かれている(ように見える)本はとても少ないように思える。
何よりまずその点に強く好感を抱かずにはいられなかったし、それがあってこそ、色々と娯楽的に面白い部分(その「凸凹で石ころだらけの道」な面白さについて、すぐ後に触れていきたい)でもより一層楽しむことができた。

 

また、この作品の姿勢についてもう一つ。

「おわりに」で書かれた「紹介するものを絞らず、作家の列伝を細かめに立てた理由」を読んで。

北村薫先生が『太宰治の辞書』の中で建てた「墓碑」のことが連想され、思い出されもした。

どちらも、尊い仕事だと思う。

 

2:『麻雀漫画50年史』の「凸凹で石ころだらけの道」な面白さについて

この作品は書いてあるとおり「50年の歴史」を扱っているのだけど、1970年代80年代を扱う手つきと、90年代以降のそれとが大きく異なるように見える。
70年代(と80年代)についてはあまり個々の作家や作品の表現に踏み込まず、ジャンルを巡る社会や経済の動向、業界のプレイヤーとしての各出版社の成り立ちとその在り方、その後の「麻雀漫画」というジャンルの表現の基礎となる技法やシステムがどう成立し整えられていったかといった話が主に語られる。
90年代、00~10年代になると個々の作家やジャンルを代表する作品の個性や表現についての踏み込んだ話や紹介、その意義や意味について語る割合が増えていく。

 

ただし、一方でそこは厳密に分けられているわけでもなく、70年代80年代でも少し踏み込んで語られる作家や作品の表現の話もあるし。
90年代、00~10年代についても社会や経済の動向、業界のプレイヤーとしての各出版社や雑誌の動向や変遷といった話も70年代80年代に引き続いて重要なものとして語られ続ける。

 

いわば「おわりに」で作者が『仮面ライダージオウ Over Quartzer』の敵ボスの台詞を引きつつ語るように「まるで凸凹で石ころだらけの道」のような構成をしてはいる。
「歴史は基本的にバラバラな瞬瞬必生の積み重ねだと思うので、本書をきれいに舗装された小説にはしたくなかったということだ」という通りの内容をしてはいる。

 

ただし、なぜこういう構成になったかについて……例えば70年代(と80年代)の作家・作品の表現にあまり深く触れずに流した理由について

「コラム① 漫画における麻雀表現」

で明快に解説が行われてもいるし。

また、読み進めていけばいくほど竹書房を始めとするジャンルに関連する出版社や、近代麻雀近代麻雀オリジナルといった雑誌もいわば、様々な長所も短所も美点も欠点も併せ持った、一個の巨大な人格として魅力的に立ち現れてくるように思えるのもこの『麻雀漫画50年史』の大きな魅力かと思える。

 

「瞬瞬必生の積み重ね」とはいってもそれは単に無秩序なものでなく、きっと可能な限りの交通整理も重ねられた、なおその上での積み重ねなのであって。
そこにこの作品の大きな魅力があるとも思う。

 

3:「この作者が編んだからこそ」の視点もきっと大いに取り入れられているのも大きな魅力

『麻雀漫画50年史』はなんといってもまず、これ以前に他にこのジャンルに通史といえるようなものが存在しない未踏の荒野に、最初の一歩を記したことに大きな意味と価値がある作品と思える。

また、冒頭で書いた通り、それが一般に「通史」に必須であると思われるしそうあって欲しい姿勢を貫いて描かれたものであることにもやはり、非常に大きな意味と価値があると思える。


そしてその上で、単にあるべきセオリーをしっかり守っているだけでなく「この作者が編んだからこそ」の視点もきっと大いに取り入れられているのも大きな魅力だと思う。

例えば、

第二章の3
「「闘牌原作」システムの確立と馬場裕一、土井泰昭」

という項。
おそらくこの作者でなければ「麻雀漫画」というジャンルを語るにおいて、この話にこんなにも重きを置く史観を示すことはなかなか難しかったのではと思える。

「これは、麻雀漫画史において非常に重要である。片山や、これより後に登場する来賀友志や押川雲太朗といった麻雀に詳しい作家は、このシステムがここで確立していなくても傑作を書いただろう。だが、そんな作家がそう多くいるわけではない以上、彼らのみで誌面を埋めきることは不可能だ。闘牌原作システムが確立していなければ、誌面全体のレベルが史実よりも下がり、また『哭きの竜』のような「麻雀に詳しくない漫画家の手による傑作」は生まれなかっただろうと思われる。そういった意味では、片山作品をも凌ぎ、本作こそが80年代麻雀漫画で最も重要な作品であるのかもしれない」
(本書p153-154より)

実際に起きた史実でなく、しっかりと地に足のついた想像力をもって"仮にこの闘牌原作システムが確立されていなかったら"という架空の歴史を想像すると共に、そのイメージをしっかりわかりすく読者にも伝えてみせることで。

 

1:「闘牌原作システム」という仕組み。
2:それが確立される契機となったほんまりう『3/4』という作品。
3:それに深く関わった関係者達……ほんまりう(自腹を切ってでも馬場に闘牌原作を依頼した)、馬場裕一(その依頼に見事に応えた)、尾沢祐司(竹書房の編集者として作家(ほんまりう)に自腹を切らせるのでなく、会社が闘牌原作に漫画制作に必要な費用と認めお金を払うことで「闘牌原作システム」として確立させた)。

 

それらのジャンルの歴史における、顕彰されるべき価値を高く掲げてみせた。
他の作者ではなかなか為し得なかったことでは、と個人的には思える。

作者が「はじめに」で忌避と嫌悪を表明した"「チェリーピッキングなり牽強付会なり」をした上で「それっぽい理屈」を捏ねて「夜空の星を勝手につなげて新しい星座を作ったり、壁の染みを指さして「見てください、ここに霊障が!!」と言ったりする」ような行為"を否定することは、通史を編む上で想像力やユーモアを発揮することを否定するものではなくて。
むしろ、そこに想像力もユーモアも欠けていたら……ひたすらに地道に事実を蒐集し、それらをただただ地を這うような単純な論理だけを組み合わせて四角四面に隙「は」無く組み上げられたものだったら……そんなものはきっとあまりに読み進め難く、読む人を楽しませるような作品には成り得ないだろうと思う。

『麻雀漫画50年史』は、そういう作品ではおよそ無いと思う。
読んでいて、(例えば自分のような、それほど対象とされているジャンルに関心も造詣も深くない門外漢にとってさえ)これだけ面白いと思える通史も珍しい。

 

4:この本自体の面白さに加えて、これまで読んできた幾つもの漫画がより面白く思えてくるというなんだかお得な効果が発生

『麻雀漫画50年史』を読んだことにより、それ自体の面白さに加えて、これまで読んできた幾つもの漫画がより面白く思えてくるというなんだかお得な効果が発生したりもしている。
例えばTwitterで大変面白そうな紹介と共に流れてくる漫画をその紹介に釣られて読むことは結構多くあり、その中に麻雀関連の漫画も幾つかあった。

例えば、
『バード 砂漠の勝負師』『バード BLACK MARKET』
『マジャン~畏村奇聞~』
むこうぶち
『3年B組一八先生』
『ムダヅモ無き改革』
等々。

 

作品本編まで手が伸びないまでも、紹介を面白く読んだものとして
『無法者』
『牌は泣いている』
等々。

※……と思ったのだけど、よく考えたら『牌は泣いている』は特別公開の本編も下記に紹介する投稿から読んでいた。

 

 

それらが「麻雀漫画」というジャンルにおいてどのような位置づけがされ得るのか。どのように画期的なのか、特異なのか、ジャンル作品として特別な評価に値するのか、どんな先行作や後続作があった/ある上で存在するのか……。
『麻雀漫画50年史』で展開されていたそういった解説を読むことで改めてみえてくる面白さというのが色々とあり、その点においても50年史は非常に面白い本だった。

また、特にSNS等と関係なく読んでいた麻雀漫画、例えば、

咲 -Saki-』及び関連作品
ノーマーク爆牌党』『ミリオンシャンテンさだめだ!』『ぎゅわんぶら自己中心派』他、片山まさゆき作品
『アカギ』『天』他、福本伸行作品
『兎 -野生の闘牌-』

といったものについても同様に、より面白く思えてくるお得な効果が発生したりもした。


特に『咲 -Saki-』/と関連作品は以前から自分にとっても普通に好きな漫画/作品群ではありはしつつも「なぜ一部の人達があれだけ熱狂的かつ圧倒的な高評価を寄せるのか」についてはよくわからないな、と思えてしまっていた所がだいぶあったのだけれど。
その疑問が少なからず解けてくれたようにも思う。なるほどなあ、という。

アカギ-闇に降り立った天才 1

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5:ジャンルの通史を読む楽しみ。意外な名前が出て来る驚きや、意外な関係な深さを知る面白さ。

一般に、こういったなんらかのジャンルの通史を読む上で大きな楽しみの一つに「へー。この人もこのジャンルにそんな関わりがあったんだ」という意外な名前が出て来る驚きや「この人とそのジャンル、そんな深い関係があったんだ」といった面白さがあると思う。

この50年史においては、例えば……

 

小池一夫あたりは「そりゃあまあ、大いに関わってそうだもんな。実際、そうだったんだな」という感想だったけど。
かわぐちかいじが結構深くこのジャンルに関わり、大きな足跡も残していたんだなというのは面白かったりした。
島本和彦永井豪等についての言及もおお、そうなんだ、という。
CLAMP大友克洋高橋葉介といった名前が(関係はそれほど深くなくても)挙がっていたのも少し興味深かった。

 

それとごく個人的に……『おうむの夢と操り人形 年刊日本SF傑作選』及び『宮内悠介リクエスト! 博奕のアンソロジー』で読んだ「レオノーラの卵」の作者の日高トモキチ、たしかに"多芸多才な人です"といったプロフィール紹介はあったように思うけど割と読み流してしまっていて。例えば麻雀漫画においても

「オシャレな画風から下らないギャグ・日高トモキチ『パラダイス・ロスト』」

と一項を割いてまで紹介されるべき大きな存在だったんだ、というの「おお……」となったというか、ちょっとした驚きだった。
いや、改めて思い返せば、博奕の中でも宮内悠介が特に麻雀と関わりが深いのはよく知られた話だから、そのリクエストで『博奕のアンソロジー』に招かれて……という話とも非常に整合性?が取れた話でもあるわけだけど。

それとたしか『麻雀漫画50年史』内でも宮内悠介「清められた卓」が麻雀小説の傑作である旨、どこかでスッと触れられていたかと思う。

こちらで無料公開もされているので、未読で気になる人は是非読んでみることをお勧めしたい。

 

余談ながら以前Twitterで書いた『宮内悠介リクエスト!  博奕のアンソロジー』感想も付記しておく。

 

アンソロジーとしてすごく珍しいことに収録作どれも好みでびっくりしたのだけど。
一作推すなら断然、星野智幸「小相撲」。この一行目、この短さで為されているのが信じられないくらいおかしみと存在感が詰まった架空の賭博興行「小相撲」の紹介、そして一行目を受けてのこの落とし方、巧過ぎるし面白過ぎでは……と思って感想検索したら山田正紀「開城賭博」、梓崎優「獅子の町の夜」を推す人もいてそれぞれ、うん、それも分かるなーとなり、つまるところとても良い一冊と思えた。

あと、そりゃあまあそうなるよね……とはいえ、なにも揃って賭博を扱うとなれば生死なり人生の重い決断なり忘れ難い思い出なり歴史的な出来事なりと結びつけなくても……などと思いそうになったところで改めて法月綸太郎「負けた馬がみな貰う」の軽やかさが良いなともなった。

なお、編者のリクエストで新たに書かれた作品を集めた筈だけど日高トモキチ「レオノーラの卵」はこれ絶対どこかで読んだことあるぞ……となったのは、まず『小説 宝石』に載りアンソロジー収録という流れのところ、そちらから『おうむの夢と操り人形 年刊日本SF傑作選』に採られていた。なるほど。

あと『天地明察』好きな人は(あと例えば『喧嘩稼業』とか好きな人も?)大トリとして収録された冲方丁「死争の譜~天保の内訌」が本因坊丈和と赤星因徹の「吐血の局」と、そして何よりそれを巡る熾烈な「盤外の戦い」を描いた力作なので、ぜひ。