米朝・枝雀師弟の奇跡のような一対を成す『はてなの茶碗』及び『鴻池の犬』

だからこそ、米朝・枝雀の師弟が演じた(といっても、DVDで観ただけなのだけれど)『はてなの茶碗』『鴻池の犬』はそれぞれ、奇跡のような一対の物語だと思える。米朝が見せる茶金の度量と、枝雀が描く油屋の必死さ。師の語るクロの鷹揚と、愛弟子によるシロの哀感。二人の演出、二人の登場人物は共存が出来る。空想をもって重ね合わせることによって、噺はいっそう、輝きを増す。


落語は、実に面白い。
ますます、聴き、調べ、考えたくなった。


また、去年の海老蔵襲名からそれなりに観始めた歌舞伎も面白いし、《私》シリーズに題名+α程度に顔を出した『オズの魔法使い』『メリー・ポピンズ』や、帝国劇場で観た『レ・ミゼラブル』あたりから興味を持ち、『雨に唄えば』『踊る紐育』『錨をあげて』あたりでかなりはまってしまったらしい、ミュージカル映画の世界にもまだまだ惹かれる。
蜷川幸雄演出の演劇、藤原竜也の"喜び"を演じる時の祝祭的・呪術的な、輝くばかりの存在感(『ロミオとジュリエット』前半のロミオ、他の豪華キャストを圧した『天保十二年のシェークスピア』のきじるしの王次)も追っていってみたい。
変わったところで言えば、最近ファンディスクが出た某ノベルゲームの持つ、見事な対象性を備えた複層的な物語の構造も興味深かった(まとめられれば、何か書いてみようと思う)。
『ニッポン硬貨の謎』を機にようやく一通り読んだクイーン(なんでこれだけ"今まで読むのを避けて"きたのか考えると寂しくなるので、書くには相当気合が必要だが)や、その周辺。関容子の聞き書き等、落語や歌舞伎などの関連本。なかなか入り込んでいけない詩・短歌・俳句の分野、バルザック『人間喜劇』集のような読むのに相当の気合と時間がいるので迂回してきた大作の残り…読むべき本、読みたい本のストックもまだまだ多い。


ただ、もう少しだけ、何かを考え、何かを貯め込めたら、(あまりの自分の無知と不勉強から)自分の文章を読み返すのが嫌さに止めてしまった北村薫についての文章も、何とか再開できるかもしれない。四歩下がって五歩進む程度でもいい。棘を這う蝸牛の歩みでいい、とにかく前に進めたら、と思う。