WBC二次予選:日本×アメリカ戦〜ああいう判定も、「お国の事情」だから覚悟しなくてはいけないんだろうな。

日本の3点リードから、3-4でアメリカの勝利。


何よりまず、面白い試合だった。
7回表ツーアウト一、二塁でのイチローの凡退(このときには「あーあ」と思ったけれど、1回に先頭打者ホームラン打ってたのか)と9回の敬遠のほか、薮田の力投(すごいスライダーだなぁ)、8回の西岡の盗塁(あのタイミングのスタートでも、危ういタイミングになる送球に驚かされた)など、みどころ満載。

勿論、8回の例の疑惑の判定(1死満塁の外野フライからのタッチアップで、二塁塁審がセーフの判定をした後、米国側の抗議を受けて球審が判定を覆してアウトにした)も観た。で、それについて少し。
まず、あれはどうみてもひどい誤審で、アメリカの試合をアメリカの審判(しかも、後で出た情報によると、バレンタイン監督曰く《ボークなどをやたらととって、判定で目立ちたがる》ことで有名な人なのだとか)が担当したことと無縁でもなさそうだと思えてしまう。
ただ、「アメリカの試合をアメリカの審判が裁く」という状況でしか開催できなかった時点で、試合の前段階の力関係としてある程度の不利は仕方が無いので、こういうことだってあるというのは、今後も覚悟しなくてはいけないことなんだろうな、と思う。


オリンピックだって(トリノはなぜかあまり無かったみたいだが(機会が少なかった?))、サッカーのワールドカップだって、もっと分かり易い例ならボクシングやK-1の判定などだって、開催国や競技運営の面で力を振るえる立場にいる国は、結構好き放題にやってくれるものだ。日本だって、長野五輪K-1の判定などをみれば、その例外ではないのは明らかだろう。
ただ、そういう「お国びいき」の度合いにも国毎に格差があるのもまた明らかで、それは国民の倫理観云々ということよりも、より大きな要因として、《そういう場での「国家の威信」というものをどれくらい切実に必要としているか》という事情が関わって来ているのだろう。まさに、「止むをえないお国の事情」というやつで。「切実」というのを更に詳しくいうなら、《どれくらい、人工的に国家という幻想を堅く保たざるを得ないか》または《それに他の国にも増して強力な求心力を求めざるをえないか》ということだろう。
それに、勿論、各競技毎のスポーツビジネスとしての業界事情や、各国の文化や精神的風土も深く深く関わって来るが、一番大きいのは、《国家》という幻想に対する依存の深さだと思える。
イギリスみたいに(いかにもイギリスらしくキツい皮肉と、それに浸りきってしまわない程度の自虐も込もった言葉だが)「ウィンブルドン方式」だなんて悠然と構えていられる国ばかりではないわけだ。


ようするに、はっきりいえば、「特にアメリカ、韓国、中国のいずれか又は複数が運営に主導的に関われる立場で参加している、大きな注目が集まる国際大会なんかでは、どんなスポーツだろうと、公正な審判・判定を期待なんかできないのは分かり切ったことだよね」ということで、「こういうのって、別に今に始まったことでもないよなぁ」と思う。
大体、「スポーツの商業化」というのは必然的に、相当厳密に制度的に縛らない限り、《公正》なんて概念がいいように弄ばれることを意味しているのであって、殆ど見切り発車の大会でしっかりと《公正さ》が保たれたりしていたら、かえってそちらの方が驚くべき事態だろう。
ただ、《それでも》そうした諸々の事を乗り越え、誰にも覆し難い、明確な勝利を収められるようであれば、それは単なる勝利以上に輝かしいものになるだろう。そういう意味でも、この大会の今後の展開は楽しみだと思う。


My Favorite Things〜最近良く聴く楽曲集[ミュージカル篇]

No 名前 アーティスト アルバム
1 Singin' In The Rain Gene Kelly Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
2 Fit As A Fiddle Gene Kelly & Donald O'Connor Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
3 Moses Gene Kelly & Donald O'Connor Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
4 Be A Clown Judy Garland And Gene Kelly Somewhere Over The Rainbow: The Golden Age Of Hollywood Musicals (Disc 2)
5 Make' Em Laugh Donald O'Connor Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
6 Good Morning Gene Kelly, Debbie Reynolds, Donald O'Connor Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
7 Steppin' Out With My Baby Fred Astaire Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
8 A Fella With An Umbrella Judy Garland & Peter Lawford Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
9 Shaking The Blues Away Ann Miller Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
10 Easter Parade Judy Garland & Fred Astaire Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
11 Cheek To Cheek Fred Astaire Somewhere Over The Rainbow: The Golden Age Of Hollywood Musicals (Disc 2)
12 Cheek To Cheek Fred Astaire Complete London Sessions (Disc 3)
13 That's Entertainment Various Artists Somewhere Over the Rainbow: The Golden Age of Hollywood Musicals
14 That's Entertainment Bing Crosby And Fred Astaire Complete London Sessions (Disc 3)
15 I Could Have Danced All Night Audrey Hepburn My Fair Lady
16 I Could Have Danced All Night Julie Andrews Broadway: The American Musical (Promo)
17 Over The Rainbow Judy Garland Somewhere Over The Rainbow: The Golden Age Of Hollywood Musicals (Disc 2)
18 Over The Rainbow Judy Judy Garland & Liza Minnelli Together
19 Swanee - Duet Judy Garland, Liza Minnelli - Judy Garland & Liza Minnelli Together
20 The Trolley Song Judy Garland And The MGM Studio Chorus Somewhere Over The Rainbow: The Golden Age Of Hollywood Musicals (Disc 2)
21 Of Thee I Sing The Hi-Lo's The Essential George Gershwin (Disc 2)
22 Fascinating Rythm Fred Astaire, Adele Astaire with George Gershwin (piano) Fred Astaire Vol.1 Fascinating Rythm
23 Fascinating Rhythm Fred Astaire Complete London Sessions [Disc 1]
24 The Half Of It Dearie Blues Astaire, Fred With George Gerswin Piano Fred Astaire Vol.1 Fascinating Rythm
25 True Love Grace Kelly & Bing Crosby Somewhere Over the Rainbow: The Golden Age of Hollywood Musicals
26 'S Wonderful Various Artists Somewhere Over the Rainbow: The Golden Age of Hollywood Musicals
27 Night And Day Fred Astaire Somewhere Over the Rainbow: The Golden Age of Hollywood Musicals
28 Night And Day Fred Astaire Complete London Sessions [Disc 2]
29 One Cast Broadway: The American Musical (Promo)
30 Memory Betty Buckley Broadway: The American Musical (Promo)
31 My Favorite Things Mary Martin Broadway: The American Musical (Promo)
32 There's No Business Like Show Business Ensemble Broadway: The American Musical (Promo)
33 Superstar Ben Vereen And Chorus Jesus Christ Superstar (Original Broadway Cast)
34 You're The Top Ethel Merman Broadway: The American Musical (Promo)
35 Cabaret Jill Haworth Broadway: The American Musical (Promo)
36 A Couple Of Swells Judy Garland & Fred Astaire Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
37 It Only Happens When I Dance With You Fred Astaire Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
38 Broadway Ballet Gene Kelly Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
39 All I Do Is Dream Of You Debbie Reynolds & Girly Chorus Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
40 All I Do Is Dream Of You Gene Kelly Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
41 You Are My Lucky Star Gene Kelly & Debbie Reynolds Original MGM Soundtracks Recordings: Singin' In The Rain & Easter Parade
42 Gee, Officer Krupke Russ Tamblyn and The Jets West Side Story
43 America Betty Wand, George Charkiris, The Sharks, Their Girls West Side Story
44 Tonight Jim Bryant & Marni Nixon West Side Story
45 Maria Jim Bryant West Side Story
46 Dance At The Gym Orchestra West Side Story
47 Puttin' On The Ritz Fred Astaire Complete London Sessions [Disc 1]
48 Puttin' On The Ritz Clark Gable Somewhere Over the Rainbow: The Golden Age of Hollywood Musicals


萩尾望都×三浦雅士「出生の秘密をめぐって」


出生の秘密

この組み合わせを見た瞬間、もう、何がどうあろうと予定を空けて聴きに行こうと思った。
抽選に当たった時はどれだけ嬉しかったことか。とんでもない組み合わせだ。


なんせ、まず、萩尾望都といえば、あの超名作『銀の三角』を生み、『ポーの一族』『半神』『トーマの心臓』、光瀬龍原作『百億の昼千億の夜』といった歴史的な名作の作者でもあり、(黄金期のミュージカル映画などを観るようになると、ますますその漲り溢れるような躍動感が分かってくる)『この娘売ります!』といった作品まで手掛けた、少女マンガにおける手塚治虫(個人的にも、それくらい称えられて当然だと思う)ともいわれる人。

そして、一方の三浦雅士は、何よりもまず、あの『青春の終焉』の書き手であり、『メランコリーの水脈』『私という現象』『主体の変容』、そして『出生の秘密』など、刺激に溢れた評論集を著した人物であり-------自分にとって、現役の文芸評論の大家として、北村薫丸谷才一に次いで興味を引かれる評論家だ。
なんというか、『ライムライト』のチャップリンバスター・キートン、『ジーグフェルド・フォーリーズ』のフレッド・アステアジーン・ケリーのような------などというと色々とギャップが大きすぎるが(対談者同士の属する世界の違いという点でも全く違う)、とにもかくにも、凄い組み合わせだ。漫画家&文芸評論家(もしくは文芸評論も手掛ける作家)で自分にとってこれに匹敵する以上のタッグとなると、高野文子×北村薫坂田靖子×丸谷才一わかつきめぐみ×川上弘美椎名高志×井上ひさしといったレベルでしか思いつかない(最初の一組はともかくとして、それ以外はかなり無茶な組み合わせだが、どれも出来るものならば、是非聴いてみたい)。


そして、いざ蓋を開けてみると、予想と期待と全く異なるものではあったが、それはもう、実に興味深い時間が過ごすことが出来た。
……ただ、まさかあんな展開が見られるとは思わなかった。なんだかはしゃいで暴走しがちな三浦雅士と、冷静にそれに応じながら、穏やかに、しかし、時に眼を見張るくらい鮮やかなツッコミを入れて冷静に対談を取り仕切る萩尾望都という流れには、ただもう、びっくりだ。
それは二重の意味での驚きで、まず、萩尾望都については、ものすごーーーーく頭のいい人なのだろうとは当然に思ってはいても、あそこまで対談も巧い人だとは思ってもみなかった。そして、登場時の品の良い落ち着いた風情はまさにイメージ通りだった三浦雅士が、まるで二十代の青年かと思うくらい(と、二十代の自分がいうのも変ではあるが)、自分の話に自分で巻き込まれて盛り上がっていってしまう話し振りをみせるとは、想定どころかかけらも想像すらできなかった。


なお、今回のトークセッションについては、萩尾望都が連載エッセイを載せている、webマガジン「ポプラビーチ」で写真も交えてその模様がアップされるということなので、ずるい話だけど労力の節約のため、話の流れはそれが出た後でそれに補足するような形でまとめようと思う。ただ、まずは聴いたその日のうちにということで、「ちょっとちょっと、三浦先生」とでもいうべき感想を少し。


まずは、印象に残った一つのやりとりから。
三浦雅士から話題を振った、「鏡に映る像はなぜ左右だけが反対で上下も反対にはならないのか」という問い掛けに対する、萩尾望都の「そちらの方が人の感覚に近く、違和感が少ないから」という答えは、その場で考えてみた、というより、そうした話題についての知識が十分にあることの証左だと思えた。

※参考

「鏡像はなぜ左右だけ逆なのか」
http://www.nagaitosiya.com/a/mirror.html

萩尾望都の返答の後で三浦雅士が人間の体の非対称性と、人の意識や知性、文化の発展にまでを絡めた話をしばらく続けたが、あの返答がすぐに出てきたことから考えると、実は萩尾先生、そうした議論は既によく知っていたんじゃないかとも思わされた。
そして、そこだけでなく、全般的に科学絡みの話題については、三浦雅士より萩尾望都の方が、遥かに冷静に接した上での考えを持っていたように見えた。
・・・・・・というか、三浦雅士は多分、いい加減な科学もどきや、まったく慎重さを欠いた科学の《応用》と称するものに------それらについてあまり詳しいわけでもない、自分の眼からみても-------あまりに弱すぎるのではないだろうか。
立花隆のその面でのトンデモ振りや、ポスト・モダンと称する人々が自論に引っ張ってくる《科学》の杜撰さはつとに有名で、松岡正剛なんかもその面に関しては(実のところ、あの人はそれ以外の面でもどうにも胡散くさいと思えてしまうのだけれど)明らかにひどいと思うが、そうした面々より遥かに優れた文芸に関する教養とセンスを持っていると思われる三浦先生も、この点に関しては五十歩百歩にみえる。萩尾先生にたまに切り返されるたびに話が苦しくなってしまっていたのは、正直言ってちょっと笑えてしまった。例えば、次のようなやり取り。

三浦「そう、実はね、人間の性格って、殆ど全て、遺伝で決まってしまうようなんですよ」
萩尾「へぇ、そうなんですか。本当に?」
三浦「ええ、学問的な趨勢として、どんどんそういう意見が強くなってきているみたいです」
萩尾「うーん、それじゃあ、(このセッションの最初のほう数十分、夏目漱石の生い立ちと作品との関連について話してきましたけど)漱石がひがみっぽいのも、捨て子や養子とかいう事情なんかよりも、遺伝だってことになるんですか?」
三浦「ああ、えぇとですね、うん、それは……」


つまるところ、三浦先生はそれぞれ自身と随分と重なり、共感するところが大きい、村上春樹芥川龍之介夏目漱石中島敦三島由紀夫あたりの評論では無類の鋭さと鮮やかさを見せる一方で、それらの作家を通じて直面せざるを得なかった自分の弱点に絡みでは、正直言ってどうかと思う一面を見せてしまうのだと思う。
例えば、村上龍などに妙に弱いのは、バレエやダンスといった身体表現の世界に異常なくらいのめり込む姿勢などとも深く繋がっていそうだ。また、ポスト・モダンがどうこうとか、遺伝子がどうこうとかいう、およそ畑違いのところにおぼつかない足取りで踏み込んだ末に、何だか書く本人の気持ちだけ高揚した力の無い文章------『出生の秘密』でも、ポスト・モダン絡みのところはおよそ三浦先生らしくない、二流、三流の評論になってしまっている------を書いてしまうのは、つまるところ、芥川や三島がはまったような呪縛から何とか逃れたいという切実な欲求からの逃避なのだと思う。


……しかし、こうして「畑違いのとこにいい加減に踏み込むこと」の無様さなんてことを書くと、それが実に見事にそのまま自分に跳ね返って来るのはどうしたものだろう。このまま続けるとものすごい自己嫌悪に潰されかねないので、とりあえずここらへんで止めておくことにする。
あれ……萩尾先生の父娘関係や姉妹関係の話とか、もっとずっと前向きに面白いことを中心に書こうと思ってトークセッションの間に色々メモしてたのに、なんでこんな文章になったんだろう。。。
それと、この日のトークだけみれば、正直言って馬鹿みたい(!)だったけど、「三浦雅士という人は本当に凄い文芸評論家なのだ」ということも、念のためにひと言いっておきたい。『青春の終焉』ただ一冊を読むだけでも、誰だってその偉さが分かる筈だ。もしも、あれだけ優れた評論集が一冊でも書けるならば、それだけでもう、間違いなく、人として生まれて来た価値があるといえる。それくらい刺激的で、鋭い洞察に溢れた作品だ。

チャンピオンズリーグ『バルセロナVSチェルシー』〜メッシ、スゲェや……。

2-1でバルセロナの逆転勝利。
……あのボロボロのピッチでなんであんなプレーが出来るのかと唖然。特に、ロナウジーニョが凄いのは世界の常識として、あのメッシってガキ、化け物か。あの面子の中で好き放題やれるってどういうことだ。ボール取られないなぁ……18歳?嘘だろ?
ただ、あのレッドカード出させたプレーはまさしくアルゼンチンの選手だったなぁ。……思い出すなぁ、好きだったなあ、オルテガ。ちょっと触れられば逃さず転ぶぜ、そしてわめくぜ、俺はやるぜ、というあの分かり易い態度。そのくせ、いざという時にはそう簡単には絶対倒れない。実にいいキャラクターだった。お国柄ってあるものだなぁ、と思う。
あまりにやりすぎて、あからさまに審判に嫌われまくるところまで似なければいいんだけど。

なお、ピッチの中央付近がもう芝がめくれて地面が露出しているような状態は、バルセロナの球回しを妨げるための、モウリーニョ監督の《工夫》だったのだとか。試合当日まで、ピッチに水を撒いてみんなで踏み荒らすのに大童だったとか。
……ああ、もう------皮肉でもなんでもなく-------立派だなぁ、大好きだなぁ、こういう人。そうだそうだ、どうせやるなら、そこまで徹底してやっちゃえ。


トリノ五輪「フィギュアスケート女子SP」

元々スポーツ全般について詳しくもない上に、この競技についてもせいぜい五輪の度に何度か見た程度(よーするに、「キャンデローロみたいなオモロイ人、また出て来ないかなぁ」「カタリーナ・ビット、美しかったなー」「今回のプルシェンコもよかったけど、それでもやっぱり、ヤグディンこそ史上最強!」「ロシア人のエキシヴィジョンはいつ観てもよーやるなぁ、ホント」だとか、その程度の関心と知識)で、演技の技術的な側面だの新得点方式の詳細がどうこうなどといったことは全くわからない。
ただ、観ていてともかく面白かったので、少し雑感を書いてみる。

安藤美姫〜試されるのは、選手個人だけではなくそのバックアップを含めた総体としての力


当然のことだけれど、スポーツに限らず、舞台で最終的に一人がスポットライトを浴びて演じるにしても、それは同時に、バックアップする人々を含めた総体としての力が試されているのだと思う。
演技云々以前に、衣装だとか(前から見ればまだマシだけど、後ろから見るとアレは一体なんなんだ)、選曲だとか、その前のうんざりさせられるゴタゴタの数々だとか、あまりにもバックアップの態勢が酷過ぎるのは素人目にも明らか。
「そういう諸々のことを乗り越えてこそ真のトップ」という見方もあるとはいえ、少し可哀想だ。むしろ、あれだけ周り中から足を引っ張られてここまでやっているというのは、確かに凄い力を持っていることの証明だとすらいえると思う。

イリーナ・スルツカヤ〜洗練された《型》とそれが表現にもたらす深みと多様性。


跳躍から氷上に下りるときには、既に次の滑りが始まっている。滑り始めた時には、もうそのステップに続くターンの予兆を孕んでいる------。つまり、一流どころのスケーターは皆多かれ少なかれそうだが、この人の滑りはずば抜けて《一つの流れとしての演技》という印象が強い。ジャンプ、スケーティング、スピンといったことの組み合わせではなく、完全に一つの《型》として洗練された一連の表現を見せられたと思わされる。

そして、この人の演技は、《一人の優れた個人が滑っている》というだけでなく、《「ロシアのフィギュアスケート」という一つの磨きぬかれた伝統の精華が、一人の人間の姿をとって滑っている》というように思える。《型》というのは、多くの先人の意志・工夫・努力・個性の結晶だ。それを踏まえて独自の表現をするこの人の滑りからは、この人自身の表現は勿論、その《型》に込められた多くのスケーター達の姿も滲み出さずにはいられないと思う。それが、他のスケーターに比べ、より深みと多様性のある表現となってこの人の滑りを輝かせている。
好きにならずにはいられない、洗練の極みの滑りだ。

荒川静香〜優れた《個人》の職人芸の精華


スルツカヤ同様、ともかく全てにおいて満遍なく高い基本技術に支えられながら、この人の滑りからは全く対照的に《優れた《個人》が職人的に磨きぬいた数々の技を組み合わせて築き上げた演技》といった印象を受ける。共に恐ろしく整った演技だが、それを支える根本のイメージは全く異なるだろうと思わされる。
個々の技のキレと鮮やかさという点からいえば、ジャンプはやや劣っても、他の面ではスルツカヤをも上回るのではないかと素人目には思う。ただ、出された点数として、スルツカヤにほぼ並びながらやや劣る、という評価は個人的には妥当だと思えた。

カロリナ・コストナー〜跳ねる《風の精》のイメージを選択した戦略


最初のジャンプで転倒し、優勝戦線から脱落してしまった。
ただ、他の上位陣が、リンクを《滑る》イメージなのに対して、氷上を《跳ね回る》イメージを打ち出したのは見事だったと思う。
例えば、スルツカヤアーサー王伝説の《湖の精》で、荒川静香が《オンディーヌ》(水の精。ウンディーネ)だとすれば、《ジルフェ》(風の精。シルフィード)を思わせる表現だといえる。素人目にも基本的な技術ではスルツカヤや荒川に洗練の度合いにおいて劣るものがあっても、それすらも魅力に変えるような鮮やかなコンセプトに全てをまとめる戦略は、素晴らしいものだったと思う。

サーシャ・コーエン〜音楽(「黒い瞳」)との完璧な同調による総合芸術


なんといっても、後半、音楽の転調と完全にシンクロした完璧な滑りが圧巻。
曲に《乗る》などといった生易しいレベルではない、完全な一体化。
滑りと音楽をほぼ等価に扱った、総合芸術としての演技。その印象はあまりにも鮮烈だ。
個人的には、「それでもスルツカヤが一位であるべきだ」と思ったが、ゼロに近い僅差でこの人がSP1位を獲得したという結果も、これでは仕方が無いかとも思わされた。

村主章枝〜《スポーツ》としてより《演劇》として、《ショウ》として完璧


五輪でのフィギュア・スケートの採点は基本的に《スポーツ》としての採点。従って、この人の上に三人が並ぶのも当然だろう。
しかし、それぞれの演技を《演劇》として、あるいは《ショウ》として評価したら、この人のそれこそ一位に輝くべき、と思う人は少なくないと思う。個人的には、その評価であるならば、スルツカヤと並ぶくらいになると思う。

トリノ五輪スピードスケート1000m決勝〜シャニー・デービスの革新的な勝利

余りにわかりやすい《歴史が変わる瞬間》。現実というのは想像以上に夢に溢れたドラマチックな一面も持っているという一つの証明。スピードスケート1000m決勝、スケート競技史上初の、黒人の金メダリスト(金に限らず初のメダリスト)、シャニー・デービスの滑りのことだ。


昼の十二時過ぎにテレビをつけ、トリノ五輪の中継を探すと、衛星第一で丁度その競技の決勝(録画)を映しており、見始めて三組目に登場したのが、シャニー・デービスと日本人にもお馴染みの、かつての英雄・ウォーザースプーンの組だった。
そして、結果論ではなく、見ていて、彼が他の走者と全く別のことをやってのけたことに驚かされた。最大の緊張とエネルギーの爆発をスタートに託し、二周、三週と苦しさに耐えそれを維持していく他の------今回観ただけでなく、これまで他の五輪や世界選手権のスピードスケート競技の中継の中でも------走者達の滑りと、後半になればなるほど、しなやかに伸びるシャニー・デービス。ああ、これは勝だろう、勝つべきだよなぁ、と思った。その後に続いた二組の実力者達による激しい挑戦も、ただその勝利を引き立たせるものになったのは------実に非合理的で、普段ならアホくさくて絶対に避ける類の言い草だが------それがあるべき《世界》の摂理だとすら思えた。
それは、突飛な連想だが、歌舞伎座海老蔵襲名披露興行での、市川海老蔵助六を思い出させた。あの口跡は、自分が観た(たかだか二年程度とはいえ)他のどの歌舞伎のどの役者とも------他の役での海老蔵自身も含めて------およそかけ離れたものだった。上手いも下手も、正しいも間違っているもない。《助六》がそこにいた。その事実の前には、あらゆる評価の基準が虚しくなる。そして、海老蔵がどうみたって、長年に渡って受け継がれた血と伝統の権化であるのと同様、シャニー・デービスの滑りも彼が黒人であるということと切り離せないものを持っていると思う。内在する強烈な要因に支えられ、その余りの外面的な鮮やかさにより誰の眼にも明らかなものとなる、一つの《世界》を変えてしまう《事件》。……世の中には、ごくごく稀に、そうした出来事があると思う。


勿論、歌舞伎と違い、スケート競技にはタイムという絶対の評価基準があるが、シャニー・デービスでは五輪決勝で更新こそしなかったものの、今季に打ち立てたこの競技の世界記録を保持してもいるという。それもまた、当然のことに思えた。それがいつ破られるか、今後も彼がその競技で最強であり続けるかなどといったことは、大した問題ではない。一つの《革新》という大きな事件を観た、という気にさせられた。
なお、「決勝の正にその瞬間に、別の選手のそれを破って新たにして圧倒的な世界新記録が誕生する」という方がより遥かに劇的ではあったが、そこまで完全に台本を書いてくれるほど、《現実》とうい狂言作家はサービス精神に満ちてはいないのだろう。