エイドリアン・チャイコフスキー『時の子どもたち』感想

 

エイドリアン・チャイコフスキー『時の子供たち』読んだ。

なんといっても蜘蛛パートが魅力。

 

他の人の感想を見ても人間パートと蜘蛛パートが交互に進むのだけれど、蜘蛛パートが遥かに魅力的で、そちらの方に愛着が湧く。そしてそれは作者の意図する通りだろう……といった評が目立ち、そのとおりかと思う(そんな蜘蛛パート優位なところも、どことなく『蜘蛛ですが、なにか?』を思い出させないこともない)。

 

溢れかえっているのは、

「ファーストコンタクト、疫病との戦い、宇宙開拓とSFのジャンルを総ざらいするような感じで、ハイペリオンのことが思い出されます」

funa1g.hatenablog.jp

とあるように贅沢に多くの要素を煮詰めた楽しさ。

 

なお、『ハイペリオン』と名が出たけど、これ、同じくダン・シモンズイリアム』『オデュッセイア』ほどマニアックではないにしても訳者あとがきで触れられているようにシェイクスピアSF?でもあったりする。

「蜘蛛パートの実質的な主人公であるポーシャは、ハエトリグモの一種の学名からとられています。これがシェイクスピアヴェニスの商人』に登場する女性の名前と同じだったことがきっかけになったのか、ほかの蜘蛛たちの名前もビアンカ、フェイビアン、ヴァイオラと、それぞれシェイクスピア作品の登場人物からとられているようです」(訳者あとがき)


で、『ヴェニスの商人』ポーシャ、『十二夜ヴァイオラ(フェイビアンは人をからかう計略を巡らすその従士)は男装する主人公、ビアンカフェミニズム関連でしばしば採り上げられたりする印象がある『じゃじゃ馬ならし』の人物で(なお例えばゼッフィレッリの映画版ではビアンカは深窓のお嬢様と世間では通りつつ、"じゃじゃ馬"たる姉にも劣らぬお転婆として描かれたりもしている)……と男尊女卑ベースの社会をかき乱すような性質を持つキャラクターたちが選ばれ、抜き難い女尊男卑の蜘蛛社会を描いているところも妙味なのかと思う。

 

あと『十二夜』第二幕第二場最後のヴァイオラの台詞は『時の子どもたち』という題と展開によくあっているというか、たぶんこのイメージを重ねるべく『十二夜』から二人選んだりもしてるのかなと思ったりもする。

 

"O time! thou must untangle this, not I; It is too hard a knot for me to untie!"

「ああ時よ! これを解きほぐすのはお前だわ。あたしじゃない。こんな難しいもつれは、とてもあたしには解けやしない」(小津次郎訳/岩波文庫版)

 

あと一つとても面白いのは、個人、社会、そして種が抱える宿業や愚かさといったものを、技術をもって乗り越えていく技術SF?という色合いがとても濃いところ。

 

※以降、結末にもはっきり触れるネタバレになるので本編未読の人は読まないでください。

 

 

 

 

社会にはびこる性差別、進化の無目的性(蜘蛛たち蟻たち他の重ねていく進化が『盲目の時計職人』の業だとさらっと説明なく単語が出てきたりする)、同種間での殺し合い、社会全体が追い込まれても互いに争ってしまう愚かしさ……そういった問題が愚かさゆえに滅んだ旧人類種を継ぎ、そして超えるべく仕込まれた進化と協調性を促すための文字通りの天の配剤、

「<使徒>の御業」(下巻p352)

たるナノウィルスによって強く抑制され徐々に乗り越えられていき。
その上で生き物としての在り方そして進化と分ちがたく仕込まれていたその特性を、後に蜘蛛たちは

「体内にあるナノウィルスを分離」(p352)

して外に置き加工し、使いこなせるようにして。

「ウィルスの基本機能のひとつだけがそのまま残されている。哺乳類の脳の特定の部分を書き換えるよう手を加えられ変異させられた、まさに精神のパンデミック」(p353)

という代物を作り上げる。
最後の「囚人のジレンマ」そのままな対立を蜘蛛たちが相手の絶滅でなく共存を選び成功させたのも、蜘蛛たちが進化した「高貴な野蛮人」(この単語もやはり説明なくどこかでさらっと出てきていた)で種として人類の宿業を乗り越える美徳を有した存在で、その高貴な精神をもって問題を超克したというのでなく、

「種を超えた共感能力」(p353)

を物理的にもたらす技術をもって解決して見せている。

 

勿論、技術だけが良き未来をもたらすのだ、というわけではなく。
各々極めて魅力的に描かれた歴代のポーシャ、フェイビアン、ビアンカヴァイオラといった個人(個蜘蛛?)や、ギルガメシュの乗員たち……特に技師にして女王戦士、レインと彼女が仕込んだ子どもたちの奮闘があってこそのものであるし。
中でも雄の権利を勝ち取るべく計略と戦いを重ねた"偉大なるフェイビアン"のエピソードや、次に引用する美しい場面もある。

「ホルステンはなだめるように両手をあげた。「すまない。カーストに相談したのか? だって、彼はきみたちを頼りにしている。かまわないんじゃないか……要求しても?」
 アルパシュは信じられないという顔をした。「こんなときに? ぼくたちの故郷の------新しい故郷と古い故郷の------未来が懸かっているときに? 仲間同士で言い争いを始めるのにいい時期だと思いますか?」 一瞬、ホルステンはその若者を認識力に果てしない差のあるjヒト科のまったく新しい種であるように見つめた。その感覚が消えると、彼は気を取り直してつぶやいた。「レインはきみたちの法を定めたときにいい仕事をしたようだな」」
(下巻p267)

ただ、その上で最後の解決を技術をもって行っているというのが面白くもあれば、好きでもある。傑作と思う。


※『ネクサス』の続編邦訳、どうも売れ行き芳しくなかったために出ることはないという話なのだけど、残念だなあと思う。