森バジル『なんで死体がスタジオに!?』感想

 

森バジル『なんで死体がスタジオに!?』読んだ。
まず序盤の軽妙な掴みの圧倒的な面白さと、TV業界に生きる主要キャラクター三人にそれぞれ、登場するや否や好感と愛着を覚えさせる手際が愉しい。


■望まずして繰り出し続けるドジがドジの「ピタゴラスイッチ」を発動させものすごい現象に発展したり、居合わせた皆の記憶に刻みつけられるようなドジがそのまま「スベらない話」になるような才覚を備えてしまっているプロデューサー、幸良涙花。

■それにえげつなさ過ぎるツッコミを繰り出しつつ、的確にサポートに入るチーフAD、次郎丸夕弥。

■そして彼らが届けようとする番組に出演する、その流行が過ぎ去りすっかり飽きられ自身のセンスの無さを痛感しつつも「俺の思考は常にポジティブに流れるよう重力を操作してある」と心に念じて足掻くことをやめない一発屋芸人、仁礼左馬。


彼らを中心に生放送番組「ゴシップ人狼」が様々なトラブルや出演者たちやスタッフの思惑、そしてTV業界の中で生きる彼らの欲、夢、愛憎、プライド、技量や才覚を描き出しつつ進行していく。
その中で示されるのは一つの殺人事件であるとともに、終わりゆくTV業界への挽歌であり讃歌。
業界自体が急激な下り坂であり、急速に世の中の表舞台には残れなくなりつつあると皆、否応なく強烈に自覚しながらも。
"その時その瞬間"を視聴者たちに楽しませつつ、それが過ぎれば何事もなかったかのように忘れ去られていく……それでもなお時に忘れ難い何か、良くも悪くもなにかしらの爪痕を残して見せる「フロー型のコンテンツ」にあえて人生を懸けて賭けているキャラクターたちの、誇りや心意気。
あくまで軽妙さを決して失わない、頑ななまでにそうあり続ける筆致の中に、作者のそんな業界に対する愛情を感じさせる作品でもある。

 

なお、作品のテーマをそのように捉えた時、事件解決の鍵となる仁礼左馬の

「おれ、一回見たものとか聞いたもの、忘れられないんだよね」

という性質もメタ的なメッセージ性を強く帯びたものであるとわかる。

「フロー型のコンテンツ」であり一瞬一瞬にかけて、すぐに忘れ去られていくTV番組という存在。でも、それでもどこかに忘れられず残るものはある。たとえば俺は忘れない。忘れられない。良くも悪くもなにもかも、という。

「生放送に出演者が遅刻すること自体は、別にわりとあることだよ。千鳥のノブさんは正月のお笑いの特番で七時間遅刻してるし、フジの『ノンストップ!』だと小籔さんだったり博多華丸・大吉の大吉さんが遅刻したことがある。その大吉さんがMCの『あさイチ』にナイツの塙さんが遅刻したこともある。前例ならいくらだってあるんだから」
 絶対いまこんな話なんかしてる場合じゃないにもかかわらず、早口でまくしたててしまう。次郎丸くんは目を細め、 
「なんで生放送遅刻事例のデータベースが頭に入ってるんですか」
 「そりゃインパクトあることだから、覚えてるよ」 
「テレビを愛しすぎですよ。まあ、前例があるならそんなに焦る必要ないじゃないですか」

幸良涙花の口を借りて何度か繰り返される、あえて固有名詞を連発してのくだりも同じ文脈。

"私(たち)は忘れない。「覚えてるよ」"という話。

 

また仁礼左馬の

「俺の思考は常にポジティブに流れるよう重力を操作してある」

については二回同じ言い回しが繰り返されるのも天丼ギャグという趣もあるし実際非常におかしみも湛えつつ。"大事なことなので二度言いました(書きました)"ということでもあるのかと思う。

この斜陽のTV業界でそれでもTV番組というものを愛し、それに懸けて生きていくにはそれくらいでないととてもやっていけないから。

 

なお、Kindle版で作品を購入したなら一度作品を読み終えた後で「記憶」と「忘れ」というキーワードでそれぞれ本文検索をかけて改めて色々振り返ってみるのも、作品を読む上で少し、面白いと思う。おすすめ。


また、作中に一箇所、作者のデビュー作『ノウイットオール あなただけが知っている』(松本清張賞受賞)と同じ作中世界の出来事であることを明確に示す箇所もあり、読者へのある種のファンサービスともなっていたりする。

 

■関連

『ノウイットオール あなただけが知っている』他感想