飛浩隆「デュオ」「象られた力」〜初出の形と『象られた力』収録版の比較(とりあえず、今後まとめる予定の概略を)


象られた力 kaleidscape (ハヤカワ文庫 JA)


飛浩隆「デュオ」「象られた力」の文庫収録版と初出の形の比較なんかも、早くまとめあげたいのだけれど……。


この機会に、簡単に大筋だけ書いておいてしまうか。


「象られた力」は最初、テーマの背景が《ミーム》をメインにしつつ、レトロウィルス-------というか、よりはっきりいえばエイズ------のイメージも深く反映されていたのが、ほぼ《ミーム》一本に絞られるようになったのではないかと思う。
それによって、《外部》からの《敵対的侵攻》という感覚が(ラストを除いて)基調となっていたのが、《内部》から出でて《独立した他者》として現れた、単純に《敵》とは割り切れない存在、という見方が一貫して表現されるように、作品の姿勢も変貌を遂げた。
それは、恐怖を描くという点に着目すれば、よりわかりやすくいうならば------ややその本質から乖離してしまう部分もあるが------《エイリアン》の恐怖から、《フランケンシュタイン・コンプレックス》の方向に明確にシフトした、ということなのでは。


そして、その変更によって、『象られた力』という一冊は、巻頭を飾る「デュオ」と最後を締める「象られた力」が二重奏を奏でるようになり、その完成度を遥かに増すこととなったのだと思う。実に素晴らしいことだと思える。


また、この二作品については、他にも膨大な細かな変更が行われており、それらについても幾つかその手法や目的別に焦点を絞った上で、大まかにまとめておきたい。
例えば、「デュオ」におけるヴォルフの紹介の変化や、「ミニョンⅡ」の訳の変更などは、実に魅力的に思える。他にも興味深い改変が幾つも幾つもみてとれる。
読めば読むほど、愉しくてならない。