2022年に読んだ小説・エッセイ等&感想まとめ

■はじめに

ここでは2022年に読んだ主だった小説(・エッセイ等)の一覧を挙げた後、感想を書いた作品については個別にそれも紹介していく。

 

その中でもまず、長谷敏司プロトコル・オブ・ヒューマニティ』は自他ともに認める作者の最高傑作ということで間違いないと思う。刊行を喜びたい。
個人的にも『円環少女』や『BEATLESS』をはじめとする小説に対してずっとそうであり続けて来た/行くように長い付き合いになる作品と思う。

 

『本と鍵の季節』(図書委員シリーズ)の続編、米澤穂信『栞と嘘の季節』は「図書委員シリーズ」とも称されている(らしい)通り、登場人物たちの心情及び作品の在り方、読み方に、作中で触れられている本(や映画等々)も大きく関わる……いわばその一冊の中からだけでは解きえない、しかし、極めて魅力的な謎として提示されているものと強く思えた。
なので「そういう読み方」の一例を示せたらと思い、そうした感想を書いてみた。

 

北村薫先生の新刊『水 本の小説』の刊行も嬉しい。
なお、この本についてそうであるように(詳しい)感想の有無や分量等は好みや評価の高低等と必ずしも一致しない。
例えば春暮康一『法治の獣』についてはファースト・コンタクトものとして打ち出したアイディアや軸の鮮烈さ、描写の見事さ等において圧巻で。この一冊で『AI法廷のハッカー弁護士』の竹田人造と共に、ここ最近新しく知った国内SF作家で最も好きでもあるし注目したい人になった。
オンライン開催された『京都SFフェスティバル2022』での対談企画も面白く聴いた。

 

バリエーション豊かな作品をバランス豊かに送り出す韓国の作家、チャン・ガンミョンの『極めて私的な超能力』をはじめとする諸作品に出会えたことも嬉しい。

 

ここ数年、SFアンソロジーでもSF作家・作品の紹介でも、当人の小説でも伴名練の文章に触れ続けているわけだけれど。
なんというか、例えばミステリのジャンルにおいて若い頃の北村薫先生はこんな感じでもあったのだろうかと思わされたりもする。圧倒的、と思う。

 

■2022年に読んだ小説・エッセイ等一覧

※とりあえず、覚えていたり記録を呼び出せる限り並べてみた。

 

北村薫『水 本の小説』
長谷敏司プロトコル・オブ・ヒューマニティ』
米澤穂信『栞と嘘の季節』
ミシェル・フーコー(田村俶・訳)『監獄の誕生』
スティーヴン・ミルハウザー柴田元幸・訳)「夜の姉妹団」(『ナイフ投げ師』収録)
アンディ・ウィアー(小野田和子・訳)『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上・下
チャン・ガンミョン(吉良佳奈江・訳)『極めて私的な超能力』
チャン・ガンミョン(吉良佳奈江・訳)『鳥は飛ぶのが楽しいか』
チャン・ガンミョン(小西直子・訳)『我らが願いは戦争』
チャン・ガンミョン(吉良佳奈江・訳)『韓国が嫌いで』
石川宗生/宮内悠介/斜線堂有紀/小川一水/伴名練『ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー
宮内悠介/藤井太洋/小川哲/深緑野分/森晶麿/石川宗『Voyage 想像見聞録』
牧野圭祐『月とライカと吸血姫』本編全7巻&外伝1巻
新海誠『すずめの戸締まり』
アーカディ・マーティーン(内田昌之・訳)『帝国という名の記憶』上・下
アーカディ・マーティーン(内田昌之・訳)『平和という名の廃墟』上・下
神林長平『アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風
冲方丁『マルドゥック・アノニマス』7巻
竹田人造『AI法廷のハッカー弁護士』
竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』
春暮康一『法治の獣』
安野貴博『サーキット・スイッチャー』
人間六度『スター・シェイカー』

柴田勝家『走馬灯のセトリは考えておいて』
相沢沙呼『invert II 覗き窓の死角』
円城塔ゴジラ SP <シンギュラポイント>』
円城塔『怪談』
上田早夕里『獣たちの海』
宮澤伊織『神々の歩法』
宮澤伊織『裏世界ピクニック』7巻

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』16-17巻
アンドレアス・エシュバッハ(赤坂桃子・訳)『NSA』上・下
アンドレイ・サプコフスキ(川野靖子・訳)『ウィッチャー短篇集1 最後の願い』
柞刈湯葉『まず牛を球とします。』
伴名練・編『新しい世界を生きるための14のSF』

Genesis 創元日本SFアンソロジーⅤ この光が落ちないように』
日本SF作家クラブ編『2084年のSF』

樋口恭介・編『異常論文』
小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』2巻

斜線堂有紀『廃遊園地の殺人』

宇野 朴人『七つの魔剣が支配する』10巻
佐藤真登『処刑少女の生きる道』1-7巻
瘤久保慎司『錆喰いビスコ』1-8巻
珪素『異修羅』1-3巻
菊石まれほ『ユア・フォルマIV 電索官エチカとペテルブルクの悪夢』
編乃肌『百物語先生ノ夢怪談 ~不眠症語り部と天狗の神隠し~』
大澤めぐみ『6番線に春は来る。そして今日、君はいなくなる。』

若林踏・編『新世代ミステリ作家探訪』
芥川也寸志『ぷれりゅうど』

さかなクンさかなクンの一魚一会』
吉田修一横道世之介
『年鑑代表シナリオ集 '13』
西村淳『面白南極料理人
西村淳『面白南極料理人 笑う食卓』
西村淳『面白南極料理人 名人誕生』
西村淳『面白南極料理人 お料理なんでも相談室』
宮嶋茂樹不肖・宮嶋南極観測隊ニ同行ス』
古川日出男平家物語 犬王の巻』 
平野啓一郎『ある男』
辻村深月かがみの孤城』上・下
藤津亮太『アニメの輪郭――主題・作家・手法をめぐって』
佐伯昭志ストライクウィッチーズMemorial Episodeいっしょだよ』

 

 

■感想

長谷敏司プロトコル・オブ・ヒューマニティ』

現時点の印象として著者の言葉通りその最高傑作であり、自然、自分にとってのSF小説のオールタイムベスト最上位の一角を占める作品と思う。

※随時更新・追加↓

 

米澤穂信『栞と嘘の季節』

「この一冊で読み終えられない作品」だと思う。

幾人もの人物の造形の核心(と思えるもの)や作中の状況や描かれるテーマが、本や映画に託され提示されているのは明らかと思えるから。

ミシェル・フーコー(田村俶・訳)『監獄の誕生』、スティーヴン・ミルハウザー柴田元幸・訳)「夜の姉妹団」(『ナイフ投げ師』収録)は栞と嘘~関連で読んだ本


■チャン・ガンミョン(吉良佳奈江・訳)『極めて私的な超能力』
■チャン・ガンミョン(吉良佳奈江・訳)『鳥は飛ぶのが楽しいか』
■チャン・ガンミョン(小西直子・訳)『我らが願いは戦争』
■チャン・ガンミョン(吉良佳奈江・訳)『韓国が嫌いで』

多彩で、優れたバランス感覚を持つ作家と思う。


■石川宗生/宮内悠介/斜線堂有紀/小川一水/伴名練『ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー

収録五編全てが非常に面白い。
中でも特に斜線堂有紀「一一六二年のlovin' life」伴名練「二〇〇〇一周目のジャンヌ」は物凄いと思う。


牧野圭祐『月とライカと吸血姫』本編全7巻&外伝1巻

改変(過去)世界宇宙開発SFの傑作と思う。

第53回星雲賞日本長編部門を受賞。

 

新海誠『すずめの戸締まり』

※映画感想の中で原作小説についても。


さかなクンさかなクンの一魚一会』
吉田修一横道世之介
■『年鑑代表シナリオ集 '13』(『横道世之介』収録)
■西村淳『面白南極料理人
■西村淳『面白南極料理人 笑う食卓』
■西村淳『面白南極料理人 名人誕生』
■西村淳『面白南極料理人 お料理なんでも相談室』
宮嶋茂樹不肖・宮嶋南極観測隊ニ同行ス』

※上記作品群は沖田修一監督の映画『さかなのこ』『横道世之介』そして『南極料理人』関連で読んだ本。映画感想に絡めて言及も。


平野啓一郎『ある男』

※石川慶監督、映画『ある男』を観る前に参考として上記の原作小説を読んだ。

 

■アンディ・ウィアー(小野田和子・訳)『プロジェクト・ヘイル・メアリー』上・下

 

■アーカディ・マーティーン(内田昌之・訳)『帝国という名の記憶』上・下

 

■アーカディ・マーティーン(内田昌之・訳)『平和という名の廃墟』上・下

 

■竹田人造『AI法廷のハッカー弁護士』

■竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』

 

■宮澤伊織『神々の歩法』

 

柴田勝家『走馬灯のセトリは考えておいて』

まず、表題作が素晴らしい。

最後の一文(及びその前の段落)が、特に良い。

文庫版のvtuber届木ウカによる解説(全体に、素晴らしい解説と思う)にあるように

「他五篇で取り扱ったテーマの総括」

であると思えるし。
それこそデビュー作『ニルヤの島』から『クロニスタ 戦争人類学者』、心霊科学捜査官シリーズ、『ヒト夜の永い夢』『アメリカン・ブッダ』といった作品群には共通する手つきなり姿勢なりがあると捉えた上で「走馬灯のセトリは考えておいて」の結びを読む時、改めて良いなとも思える。

 

偽物、怪しげなもの、誤ったもの、いかがわしいもの、実態以上に過剰に扱われがちなもの、しばしば誇張されがちなもの、極端なもの……それでいながら強い思い信仰や盲信、熱狂、執念執着を寄せられるもの。
柴田勝家作品はいつもそういったものを好んで扱いつつ、斜めから突き放したり揶揄する姿勢でなく、まず中に入り込んだ上で。時にフィールドワークを行う学者のように、そうでないときは例えばその中で生きる一員のように接し、描いていっているように思える。
これもまた『走馬灯のセトリは考えておいて』届木ウカ解説の引用になるけど

「柴田先生は「偶像を信仰する客席側の人間」、いわゆる「ファン側」の人間でありつつも、「信仰の構造を把握した上でその構造ごと愛でる」さまを描いて」

いることが特色であり、基本的な姿勢と思える。
そして更には「愛でる」だけでなく、ひたすら「正しさ」を積み重ねていくだけでは描けない、あるいはそれとは異なるやり方で描ける価値(あるいは価値あるもの)、現実の諸問題を描き出す手法を採っているのかと思えている。

 

おそらく、まず「「偽物、怪しげなもの~」を信じ込んでしまっている愚か者のあいつら/賢く理性的で正しく科学的な私/私たち」という二分法を採っていない。
これもおそらく大前提にある認識として……少しばかり距離をおいてみるなら、どうせ私/私たちにしたところで、別の(例えばずっと後の時代からの、あるいは例えばより高次の知性からの)視点から観るならば。「偽物、怪しげなもの~」を(そう意識するにせよしないにせよ)信じ込んでいるし、信じた上でないと生きていけないし、きっと現にそうして生きているわけで。
わかりやすい(?)例なら自由意志とか生きる意味とか、そういうの。そこまで根本的でなくても、なんでもいいけれど……例えば、市民社会における「市民」という概念とかそういうのを挙げてもいいかもしれない。

 

先程言及したようにまず第一作『ニルヤの島』からして(そして『ヒト夜の永い夢』の粘菌コンピュータや『アメリカン・ブッダ』のあれやこれやも)わざわざ念入りに偽物、怪しげなもの~を集めに集めた作品と言えると思う。

 特に作中で重要な役割を果たしているのが「ミーム」という概念で、感想として「こんなにミームを信奉しきった小説、ある意味凄い」といったものも見かけたこともあったりするのだけれど。
作者のプロフィールとして民俗学(、文化人類学)方面を専門的に学んだことが挙げられ、『ニルヤの島』をはじめその作品の多くにもそのことが大いに反映されているようにも見える中、いわゆるミームというものは学術的にちゃんとした研究に値するだけのしっかりとした定義なり諸々の裏付けなりがあるか?について激しい議論がある中、一際激しい全否定にも近い(というかしばしば全否定そのもの)批判は文化人類学方面から寄せられているという話があり、『ダーウィン文化論―科学としてのミーム』あたりを読むとそのあたり"たいへん興味深く"もある。

 というか、たしか新宿Livewireでのトークイベント終了後の懇親会(ここでのイベントでは一般参加可能なこれが大体セットで、イベント申込時に参加不参加を選べる)だったかで「(読んでみて、一部で言われているように「ミームを信奉している」とはとても思えなかったんですが、そこら辺、どうなんでしょう?」と直接伺ってみたところ、諸々の返答と共に勧めて頂いたのが『ダーヴィン文化論』だったりした(たしか2015/3/20のこれ

 だったと思う。『ダーヴィン文化論』の感想記事ブログにアップしているのも2015/3/24だし)。

 

ともあれ。そういったデビュー作からの作風とそこからの足跡を思うと、これも繰り返しになるけど『走馬灯のセトリは考えておいて』表題作、特にその締めくくりは一層、色々と味わい深いものになるとも思う。


また、今は例えば「オンライン福男」のような軽やかなおかしみに大きく振った作品も、「クランツマンの秘仏」(や『アメリカン・ブッダ』収録「「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」)のようなやや固めに、そして(ご当人にとって思いがけない流れでも「クランツマンの秘仏」から『異常論文』が始まった云々といった話もあるような)形式で遊ぶような作品も自在に描き送り出せるようだったり、

「走馬灯のセトリを考えて」にしてもその読みやすさエンタメ性を『ニルヤの島』と比べたりすると、刮目すべき変化かとも思えたりもする。

 

 

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!』17巻

すっかりサイエンスでスペキュレーティブなフィクションになっていて、しかも面白い……いつからこうなったんだろう。なにやらヒューマニティ・ウィズ・将棋というか対局の様子や棋譜プロトコル・オブ・ヒューマニティだという趣すら。
後書きに曰く、

棋士という職業はAIに「仕事を奪われる」と脅かされた最初の職業です。しかし今は逆に「AIを仕事に活かした最初の職業」になりました。その過程は壮絶なものでしたが、勝負という行為を通じて真剣に向き合ったからこそ意味があるのだと思います。大きな変化が訪れた今という時代に将棋を題材にした物語が書ける幸せを噛みしめた17巻です」

「最初の」あたりの当否は措くとして力強いし、作品に似合いもする言葉だとも思えた。

 

■斜線堂有紀『廃遊園地の殺人』

 

瘤久保慎司『錆喰いビスコ』1-8巻

 

■宇野 朴人『七つの魔剣が支配する』10巻

 

■『Genesis 創元日本SFアンソロジーⅤ この光が落ちないように』

なんとなく全般に、まだ掴めていなかったり元より異質だったりする「感覚」を語りの中で、体験の中で掴む、落とし込んでいく、見出すといった作品が並んでいた印象。
宮澤伊織「ときどきチャンネル#3 【家の外なくしてみた】」の軽やかな語りが特に好き。
表題作となった菊石まれほ「この光が落ちないように」はこの作者さん、作者紹介にもあるし自分で読んだ時の感想もそうだったように『鋼鉄都市』を強く連想させた『ユア・フォルマ』

のようにミステリ仕立てで異質な存在同士が事件をめぐり謎を探り、愛憎を懐き、時に対立し時に繋がる話を描くの得意なんだな、良いなと思った。そういえば、と今月初め刊行の『ユア・フォルマ』5巻読み忘れてたことにも気づいた。年明けに読みます……。

創元SF短篇受賞作として収録の笹原千波「風になるにはまだ」。異なる存在の感覚を繋いでの接触を描きつつ、双方の同意の元、相互に意識して攻撃的・侵襲的でなく、繊細に穏やかに相互に伝え探り、その上での諸々を描く在り方とその手つきとが好ましく、面白いと思った。

 

日本SF作家クラブ編『2084年のSF』

春暮康一「混沌を掻き回す」、マクロとミクロ、科学と神話が交差する描写が良かった。あとは安野貴博「フリーフォール」が楽しい。
坂永雄一「移動遊園地の幽霊たち」も『何かが道をやってくる』が好きなこともあり、いいなと思った。
竹田人造「見守りカメラ is watching you」は「あれ、これどこかで読んだことあるぞ。でも全編書き下ろしとあるし……」と少し悩んだけど、twitterで検索してこの本の無料公開企画で読んだことを思い出した。なるほど。

 

■雑感

関心のあるジャンルの主だった話題作をもう少し追ったり、「この作家の単著はとりあえず全部読んでおきたい」という方面も諸々漏れが出てしまっているので、今後もう少し、できる限りなんとかしていきたい。


一方で、映像化関連や、ジャンルの話題作や過去に読んできた作家や作品の流れの上にあるもので読む作品がほとんど占められてしまっていることも幅の狭さ、偏りとして問題かと思う。

本屋でふと目に止まって気になった本など、幅なり多様性?なりとしても手を加えていきたいなとも思う。

 

なお、以上の話は別に「「良い読書」(?)をしなければ」というわけでもなく(特にそんなことをすべき義理はない)。

こうして一年を振り返って全体の様子を眺めてみると、より面白く本を読んでいくには、より楽しむには明らかに意識的に考えたほうが良いことがある……と思えたというだけの話ではあったりする。