劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』は最高のアニメ映画で、中でもアグネスタキオン最高だった。タキオンタキオンタキオン!という話。

 

映像演出、物語の構成、音響、諸々全てが最高のアニメ映画だった中でも、アグネスタキオン最高だった。タキオンタキオンタキオン!という話。

 

劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』はウマ娘という不可思議なる存在の意味と意義、魂と本能を描いた作品。

自分の全てを懸けて賭けて駆ける。
それでも届かなかった道の先や、描いた軌跡の跡を託し託される、ウマ娘という存在。

その在り方を俯瞰し、己の置き方、使い方を計算し切り自ら定めたアグネスタキオン
完璧な消去法、計算通りあるいは計算以上の成果。

 

ホープフルステークスでのジャングルポケットとの初対決。
レース前の二人の出会い。画面の左と右に柱で隔てられつつ描かれる姿は、タキオンがポケットの象徴するウマ娘の「本能」を自らから隔離しながら歩むようでもあり。
ポケットの身体をまさぐり研究対象として見て扱う姿はやはりウマ娘の「本能」は自らと関わりない……内でなく外にある観察と研究の対象に過ぎないと示してみせようというような姿でもあった。

 

そして、圧巻などという言葉では到底足りない迫力で描かれるレース場面。
他のウマ娘を完全に彼方に押しやる圧倒的な光を放つ走り。
ウマ娘という存在全体が持つだろう可能性、果ての果ての速さを目指し狂気の中を駆けていく。
狂気に陶酔しているかのような表情での勝利、そして数瞬の後、突然醒める。
圧勝劇に興奮する場内、打ちのめされる敗北者たちを前に、独り醒めた目で佇む姿が鮮烈だった。

 

弥生賞での二度目の圧勝を経て、そして迎えた皐月賞、三度目の圧勝劇。
回を重ねるごとに圧倒的な迫力で描かれていった映像演出に映画の観客が感じる興奮と重なるように……アグネスタキオンの辿るに違いない栄光を予感というよりも確信し、観客たちの興奮の坩堝にある競馬場。
響き渡る実況。

「まずは道をつなぎました! アグネスタキオンまず一冠!!」

しかしその時当のタキオン唯一人だけは、自身が探究するウマ娘の可能性の「道」を自身の足で辿る軌跡は終わった、それは既に自身の足を代償にみせた「光」をもってジャングルポケットをはじめ、タキオンの走りを目撃したウマ娘たちに託した/託せたことを確信している。
その孤高が鮮やかにも見えた。

 

そして迎えたダービー。
ジャングルポケットは見事にタキオンの計算に応え、あるいはそれを超える可能性へ挑む走りの続きを示した。目論見通り、完璧に。
それなのに。
ダービーというウマ娘最高の栄誉の場でのジャングルポケットの「勝ちたい!」という本能剥き出しの走りが。
その上でのやはり本能を叩きつけ響き渡らせるような咆哮が。
アグネスタキオンの計算を、自身の理性を揺さぶり、ウマ娘としての本能を猛らせる。
タキオンの足の震え。魂の震え。たまらない名場面だった。

 

この時点で、物語の結末は約束されていたとも言える。

 

ただ、そこに到るまでのタキオンの姿がまた、最高だった。

 

「走りたい」立場が重なるフジキセキがそう口にし、思いを迸らせる時。
「走りたい」「勝ちたい」他のウマ娘たちが揃って口にし、思いをたぎらせる時。
きっとそう口にすることなど自らに決して許せなかった、アグネスタキオンの惑乱が引き立った。

 

例えば菊花賞を分析するタキオン
その、その場で意識せぬまま蠢く衝動を示すように揺れ続ける足。
その場で台詞になんて出さなくても……出せるわけがない、自分に許す筈がなくても、はっきりと心の声が当然に聞こえてくる場面だった。

 

走りたい走りたい走りたい、私が走りたい。私の代替品でなく、この私が走りたい。
走りたい走りたい走りたい、私のこの脚で!!!!

 

 

ジャパンカップを前にアグネスタキオンを久々に訪れたジャングルポケットに、何の用だ?とタキオンは訝しむ。
私自身を代償に見せるべき光はもう見せた。ここにはもう光の残骸しかないというのに。どんなに本能が猛り吠えても、この足はもう駆け得ないのに。

それでも今、タキオンが見せた光を追い、一度最高の栄誉に輝いたウマ娘が。圧倒的な光をみせたタキオンの残像に苦しみ続けつつも、タキオンに代わりタキオンの追い求めた可能性の扉を開きその向こうに駆け行く者が。あの本能そのままの走りを見せつけ、本能そのものの咆哮でタキオンを揺さぶった相手が。
タキオンが見せた光の残像を振り払い先へと駆けるため、他でもない"今のタキオン"に共に駆けて欲しいのだという。他の誰でもなく、今のタキオンに駆けて欲しいのだという。残骸の魂が震える。

ポケットが率直に語りに語る、レースで走り、競い、勝つ……ウマ娘の本能。

ダービーでその走りで、勝利の後の咆哮でウマ娘の本能を見せつけ、叩きつけ、アグネスタキオンの魂と足をも震わせたジャングルポケットが。ここでは言葉でもってウマ娘の魂を語りに語る。語りにおいてすら、タキオンはお株を奪われたような形でもある。

言葉ではすげなく断りながら、どんなにか共に駆けたかったことだろう。駆け得るなら、残骸がなお動き得るなら、どんなにか。

ポケットが語る度、ジャングルポケットが胸に下げる宝石?のように、タキオンの部屋のなんか似た宝石みたいなやつにも光が籠もっていく。その本能が耐え難く刺激されうずかされていく。その様子がとてもいい。

少し前の場面でタキオンとも境遇が重なる「幻の三冠馬フジキセキがやって見せた……彼女はすることが出来たポケットとの並走が、タキオンの声なき慟哭を一層引き立てるという名場面でもあった。

ポケットが去った後、カーテンを固く下ろし、誰にも覗かれないようにされたタキオンの部屋。きっと……フジキセキはそれを続けていたけどタキオンは自分がやることになるだなんて想像もしなかっただろうことを、その時から始めていた。


そして、ジャングルポケットの戦史を飾る二度目の栄冠、絶対王者世紀末覇王テイエムオペラオーを下してのジャパンカップ制覇。
レース終盤、オペラオーと競うポケットの咆哮と呼応するようにタキオンも涙を流しつつ咆哮する。
レースに背を向け、競技場を飛び出し、タキオンが疾走していく。
遂に、これまで決して口にしなかった本音を吐き出しながら……。
ここでは咆哮と疾走で十分過ぎる、そこまで台詞でも言い切らなくても、とも思える場面ではあったけれども。
それを台詞でも語らずにいられないのもまた、ペラペラと喋り倒さずにはいられないのも、アグネスタキオンらしいといえばそうだったのかもしれない。

 

数々のレース場面、それに最後の咆哮と疾走が圧倒的であったために、劇場版らしい華やかなライブ場面(ライブシーン絵コンテ・演出:中山直哉!)もある種、おまけのお楽しみ、余興となった観もあったけれど。
それでも、ウマ娘の本能に従い自らの脚で再び走ることを選んだタキオンの晴れやかな姿は観ていて実に嬉しいものがあった。

演じる上坂すみれさんの演技も、知る限りの中でベストのものだったようにも思う。


劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』は映像演出、物語の構成、音響、諸々全てが最高のアニメ映画だったわけだけれど。
その中で描かれたアグネスタキオンが最高のキャラクターでもあった。

 

タキオン以外の感想

 

ウマ娘新時代の扉、そんなに関わるスタッフ情報とか事前に情報調べていかなったこともあり、スタッフロール眺めてるのも楽しかった。以下は諸々、どんな分野についてにせよそんなに詳しいアニメファン?でもないし、いわゆる作画オタクとかではおよそ無い上で、それでもなんとなくそのお仕事はあまりにも目につくので……といったことからの単なる雑な印象の話なのだけど。

絵コンテに山本健と共に石井俊匡とあるの、アクションだけでなくキャラクターの対話や対峙の場面の構図や演出も完璧、最高だったの納得でもあった。
冒頭のジャングルポケットフジキセキは勿論、なんといってもジャングルポケットアグネスタキオンの数度の対峙を筆頭に。

四人の演出陣の一人に、RTTTの廖程芝監督。演出補佐に岡本学……布陣が強い。

ライブシーン絵コンテ・演出:中山直哉……ここ数年、出てくるたびに観客総立ち拍手喝采必至の千両役者だと思う。

プロップデザイン:おだし、ナレーションパート:吉成鋼。強い。
原画はなんか別格っぽく最初に一人一行で杉田柊、前並武志と名前が並ぶのがまず目を引いて。
「けろりら てのひら みとん みやち しなぎく」と五人ひらがなで並んでいたの、ユーモラスでもあり迫力もあった。
第一原画の最後が恩田尚之、今岡律之、小島崇史と並ぶのもなんだか重みがあった。
第二原画でも最後に書かれた名前はじめ、なんか豪華な印象。