○関連
長谷敏司『円環少女』13巻再読。『BEATLESS』との相関についてもいろいろと。
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121028/
2012年10月10日発売の長谷敏司『BEATLESS』(ビートレス)。
- 作者: 長谷敏司
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/10/11
- メディア: 単行本
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超高度AIヒギンズが仕込んだ5人のマイ・フェア・レディ(ヒギンズ、イライザとなれば当然マイ・フェア・レディだ)。
シンギュラリティを超えた向こうの5体の人類未到産物に託された5つのビジョン。
「チョロい」少年と、5体の中でもヒギンズが最初に望み設計し、かつ、シリーズ全体の名称ともした1体目でもあり5体目でもあるレイシアとのboy meets girlの結果1つのビジョンが選ばれ、そして訪れる「終わり」は幼年期の終わりならぬ……うん、痺れるなぁ。
超越的な知性、現生人類から新人類という話だと『地球幼年期の終わり』は勿論として。例えば国内だと古くは野阿梓『兇天使』、最近だと『アバタールチューナー』『ジェノサイド』とお約束のようにテイヤール・ド・シャルダンが引き合いに出ての叡智圏(ヌースフィア)というビジョンがあるのだけれど。
『あなたのための物語』から密に繋がる形で地続きにあると感じられる『BEATLESS』における「人間の終わり」であり、そして「「人間と道具」の始まり」であるビジョンは個人的により魅力的で、性に合うと思えた。
勿論、実に「allo, toi, toi」の作家らしくもあれば、『円環少女』の作者らしくもあり、『戦略拠点32098 楽園』から連綿と続いているビジョンだとも思う。
- 作者: 長谷敏司,CHOCO
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2001/11/30
- メディア: 文庫
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作中で挙げられる《なぜ人間を終わらせて、○○と○○として始めないといけないか》の理由二つ。
一、進歩の速さに人間は追いつけていないから。
「進歩が、期待や希望を見つけるより速いなら、世界のいいところを拾い上げるのも自動で補助してくれたらいい」
(p469)
二、意識は刺激に対する反応同士のコンフリクトを解決するものだけれど、現代の(近未来は更に)人間は既に解決の多くを経済に嘱託(アウトソース)していてその危うさと無理に軋んでいるから。
実に身も蓋もない、強力な見方だよなぁ。
『BEATLESS』で「経済」に向けられている視線、嘱託(アウトソース)という考え方は『円環少女』の王子護ハウゼンとワイズマン警備会社からの流れだとも思う。
ちなみにワイズマンの黒幕というかボスはアレのパパでアレの夫な人だろうと思い続けてるんだけどどうなんだろ。
関連:『円環少女』に関する感想まとめ
http://togetter.com/li/394707
※「ワイズマンのトップ」に関する推測含む。
ハザードの自然終息の理由「量的に、充分にいた」(p641)。
ヒギンズが手に入れた答えの核心「量によって愛が担保される」(p642)。
『円環少女』で悪鬼が最強である理由、再演大系が「量」を絶対価値とし「量」に支えられて「量」に裏切られた大系であることとも繋がる。
『BEATLESS』のヒギンズの嘆き(p639-640)が、『円環少女』の≪大審問官≫の嘆き(『円環少女』13巻p397-402)と大変似通ってるのもとても面白いところ。当然といえば当然なのだろうけども。
なお、個人的に長谷敏司『円環少女』の数ある着目点、ユニークさの中でも最優最高のものは悪鬼の強さと再演大系のあり方のどちらの核心にもなっている≪「量」の意味の追究と強調≫だと思い続けているのだけど、未だにその凄さをどう説明すればいいのかよくわからない。
『円環少女』のそれぞれの大系を持つ魔法世界は『BEATLESS』では40の超高位AIに相当。
無数の魔法世界と1の悪鬼の世界の対立が再演大系VS悪鬼世界に収斂したようにヒギンズ(&リョウ)VSレイシア&アラトの形にまとまって。
人類の諸勢力と、各々固有のヴィジョン(=世界像)を抱えた38の超高位AIはその戦いに干渉する形になる。
エリカ・バロウズによる戦いのオープン化(から始まり、紅霞による自分の戦いの人間への嘱託(アウトソース)、スノウホワイトによる社会インフラへの露骨な攻撃、レイシアによる超高位AI同士の戦いの中継、ヒギンズによるAASC更新停止時の仕掛けと繋がっていった流れ)は王子護/ワイズマンによるアトランティス浮上、そして十崎京香が仕掛けた「人類史が続く限り残る反体制テロの種火」(『円環少女』13巻p177)に対応。
決戦が均衡した時、オープン化されていたからこそ「開票」になり、それが決着の一手になる。
また、そこで「量」がとれたことが決着を正当化もする。
票の行方には地道な積み上げの歴史がモノをいう。また、選ばれた「決着」にそっぽを向く票も当然に意識される。
『円環少女』でも『BEATLESS』でも。
「量」の意味の追究と強調。
変革の選択に際し、オープン化を経て最後は「開票」になるという手続きのあり方。
「手続き」がとにかく重要であることへの深い理解。
そこが好きで堪らないんだけど、ホント、どう説明すればいいんだろう。
『BEATLESS』と「マイ・フェア・レディ」について、すこし。
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また、「フェア」の意味にはスラングで「口先だけの、うわべだけの」言い換えれば「かたちだけの」という意味がある。
言語学者ヒギンズが下町娘イライザを仕込んだのは、自身の友人との賭けのため。
原作「ピグマリオン」では映画『マイ・フェア・レディ』と異なりイライザはヒギンズを拒む。その関係と、そしてその拒絶の言葉と『BEATLESS』を絡めて考えるのも楽しい。
「あなたのことは好きだけれど、私を人間として扱ってくれない以上、もう一緒にはいられません」
(バーナード・ショー『ピグマリオン』)
「レディと花売り娘との差は、どう振る舞うかにあるのではありません。どう扱われるかにあるのです。私は、貴方にとってずっと花売り娘でした。なぜなら、貴方は私をずっと花売り娘として扱ってきたからです」
(バーナード・ショー『ピグマリオン』)
※なお、引用はこちらのサイトから 「《Web版》岸波通信その157「マイ・フェア・レディの真実」」http://www5f.biglobe.ne.jp/~daddy8/y/157/r.htm(個人的に映画『マイ・フェア・レディ』はとにかく音楽が好きで、i-podにも入れていてよく聴いていたりする)
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つまり、ヒギンズの嘆き、
<ならば答えをください、≪レイシア≫のオーナー。なぜ、人間は、モノを愛さないのですか?>
(p639)
には<ヒギンズが人間をAASCレベル0として扱うから>ということになるのかな。
海内リョウはチョロくなれない人間で、ヒギンズはチョロくなれないモノで、似た者同士の一対ということかな。
意識を(あえて「人間の意識」ではなく)巡る話として説明抜きの前提も多い。
例えば
「視覚って、頭で意味を考えるより速いから、考える前に人を動かせるの。アナログハックって、そういう速度を狙って仕掛けるんだけど」(p62)
ビジョンはいつも生命より機敏だ。アナログハックは、そもそも視覚によるビジョンの受け取りが、生物としての判断より高速だから、好意にセキュリティホールを開けられる。つまり、情報を受け取って像を想起する速度に、生命はいつも振り回される。裏を返せば、生命を持たない人工知能の仕事とは、生命がビジョンに追い着いてくるのを待つことなのだ(p590)
リベットの実験(→受動意識仮説)は前提。
もしそこらへんに馴染みがなければ、リベット『マインド・タイム』か、意識の問題周辺の一般向け概説書『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』あたりを読むと『BEATLESS』は絶対に一層面白く読めるはず。
『ハーモニー』を『誘惑される意志』と併せて読むといろいろより興味深くなるようなもの。
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勿論、人間が「かたち」を「そのもの」と誤認することの意味はそこからどんどん作中で突き詰められていくのだけれど。
特に終盤に展開される議論は、ギブソン提唱のアフォーダンスという概念と、「いや、「アフォーダンスは主観と独立して存在できる」は根本的におかしいだろ」といった各種の批判を踏まえて考えていくときっと面白い。……自分はそこら辺、勉強不足で苦しいのだけれど。
それと、レイシアは当然、視覚だけでなく五感全部にアナログハックをかけている。
聴覚は言うまでもなく。
体温や柔らかさ等などや、事件に巻き込んで安全を確保した上で殴られたり叩きつけられたりするようにして痛みでも触覚に働きかけて誘導している。
出会いから家につくなり、すぐに味覚に働きかけている。
シャンプーの匂いだなんだで嗅覚にも。
で、アラトの反応はその全てに対していっそ感心するくらい「チョロい」。
あと「人間の意識」だけでなく「道具の意識」の話でもある以上、フレーム問題あたりについては簡単に知っておくといいというか、知らないと厳しい。
なお、不気味の谷問題などは触れられもせずとっくに通り越されてしまっているという話であることも面白かった。
それとロボット三原則第一条がヒギンズにあっさり、いやあ、人間(あんたら)が「危害」を含む価値判断の基準だけは留保してる以上は守るの無理っすよ、と蹴飛ばされるのも楽しい(p543-544)。
アシモフのロボットもの(ファウンデーションものと合流した後も含めて)では進歩を極めたロボットに対し人間に残された領域は「直感」とされ、イライジャ・ベイリならまだしもゴラン・トレヴァイズになるともうかなり無理矢理で苦しかったわけだけども。
『BEATLESS』を読んでいて、(当たり前だけど)アシモフの頃からはもう、随分遠くに来たんだなぁ、という感慨があった。
必要なのは「チョロい」ことだというのはホント、凄いイメージ。
なお、海内リョウはその「チョロさ」の本当の意義の解説役なのだと思う。
ところで「アラト」は「新人」かなぁ、と。
ただ、肝心の「レイシア」という名の意味はなんだろう。
あと、海内紫織がシオリでなく紫織ということはどう説明するとしっくりくるんだろう。
また、海内リョウについて。
「海内遼、休み時間になって彼のところにやってきたのだ」(p6)
「メトーデのもたらした破壊を、海内遼は≪ヒギンズ≫オペレータールームから監視映像で見た」(p538)
クラスメートとしての登場場面と、終盤にヒギンズへの決定的な対処を迫られる場面の始まりでは漢字&フルネームで「海内遼」である意味。
そのあたりについて今のところ僕はわかっていないか、少なくとも、うまく言葉で説明できない。
いきなり話は変わるけど。『円環少女』の妹、武原舞花はとにかく凄かった。
どう凄いかは読んだ人には説明不要、未読の人には色んな都合で紹介難しいけど!
で、『BEATLESS』の妹ふたり、遠藤ユカと海内紫織もいい。すごく、いい。まったく、長谷せんせの描く妹は最高だぜ!!
なお、残る一人の妹、村主オーリガは名前からなんとなく『円環少女』の茨姫、オルガが思い出されてなにか怖い。
ただ、妹たちは充実していて、メイゼル&きずなに対してはレイシアがいるとして。
『BEATLESS』にはエレオノールいないなぁ、と(もう言い掛かりだけど)思ったりもする。
「神意は、私の行く道に豊富なタンパク質を用意してくださいました」は忘れられない。エレオノール最高。
勿論、シリアスな面でも大きな大きな存在。エレオノールは歌姫で。「歌」って『円環少女』でとても面白い位置づけで。
例えば『円環少女』は小学生の合唱シーンで始まる。その中での「歌」についての武原仁の独白。
「その昔、歌は人と神の仲立ちで、巫術者は歌うことで役割を果たした。歌は、神と人とをつなぐ神の言葉。だが武原仁は、神聖さも祈りもなくただ楽しく歌う授業を悪くないと、ついポケットに煙草を探してしまう」
(『円環少女』一巻p7)。
- 作者: 長谷敏司,深遊
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「歌」は具体的・即物的な力となる魔法と対置されるものとして最初から描かれている。
一巻で戦い終えたエレオノールが歌うのも魔法ではない歌。
「神音は、人の意志を反映しない。人の願いを聞き届けない。神音は演奏家たる歌い手の意志ではなく、正確に≪索引≫をなぞる音にしたがうだけだから。神音に透明になれず、自分の気持ちをこめずには歌えない者は、神音魔導士ではなく歌手だ。とけた皮膚をよろめくたび引きはがしながら足を踏ん張る、エレオノールはもう神意を運ぶ聖騎士ではない。重い鎧を身にまとった、ただの細い身体の少女だ」
(『円環少女』一巻p314)。
機械化聖騎士団のジャズもその流れと配置の上にある。
『円環少女』は読み返すほどに最高に面白くなる。
『BEATLESS』もきっとそう。
『BEATLESS』について考えていると、こうして『円環少女』についても色々思い出される。
去年京フェスの夜にありがたくも御本人に諸々お話を伺えたのが物凄く嬉しかった一方ある意味ガス抜きにもなってしまったけど、いつか『円環少女』についても何かしらまとめたりできるだろうか。
あとひとつ、過去作品絡みの連想について。
『天になき星々の群れ―フリーダの世界』のアリス。
天になき星々の群れ―フリーダの世界 (角川文庫―角川スニーカー文庫)
- 作者: 長谷敏司,CHOCO
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- 発売日: 2002/11
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「あれは間違いなく、偉大なる人でなしに連なる人間だよ。彼女はきっといつか最悪の大王(アレクサンダー)になる」
(『天になき星々の群れ―フリーダの世界』p289)
と、レイシアのアナログハックの異同や距離も面白いと思ったりもした。
前者は「偉大なる人でなし」で、後者は文字通り人ではない。
なんだかあまりにもとりとめがなくなってもきたし、とりあえずこんなところで。
とにかく10月10日発売されたばかりの長谷敏司『BEATLESS』は最高に面白い!(『円環少女』も『あなたのための物語』も!)という話でした。はい。
10/14に追加。
「長谷敏司『BEATLESS』のあらすじ(ネタばれ)をまとめてみた。」
http://d.hatena.ne.jp/skipturnreset/20121014