デビー・レイノルズ司会の音声解説版で『雨に唄えば』(1952)全篇を観る。

DVD特典の音声解説には、ドナルド・オコーナー、シド・チャリシー、スタンリー・ドーネン、脚本のアドルフ・グリーン&ベティ・コムデンといった顔ぶれが入れ替わり立ち替わり登場。
ムーラン・ルージュ』のバズ・ラーマンもゲストとして招かれた贅沢な布陣。

例えば、今年正月にNHKで連続放映された傑作ドキュメンタリー『ブロードウェイの百年』でも、最後に最新の大作ミュージカル『ウィケッド』が紹介されたように(それを記念して製作されたサントラ『ベスト・オブ・ブロードウェイ』も素晴らしい)。
こうして輝かしい過去を振り返ると共に、彼らはその栄光を受け継ぐ"今"を引き立てようとすることも忘れません。

フリード・ユニット〜ミュージカル映画の申し子達

語られるのは、当時エキストラを除いて5000人という一大社会を築いていたというMGMにおいて、不世出のプロデューサー、アーサー・フリードが自ら引き立て、呼び寄せ、育て上げた精鋭中の精鋭---フリード・ユニットと呼ばれた彼らの黄金の日々。
偉大な作詞家でもあったフリードが1920年、30年代に生み出した名曲を連ねたミュージカル映画として企画された『雨に唄えば』は、栄光に満ちた彼らの最高傑作であり、従ってミュージカル映画の最高峰であり、そして黄昏に飛ぶミネルヴァの梟でもあったようです。


フレッド・アステアと対を成す最高のダンサーであり、常に新機軸を打ち出し続けた希代の振付師にして、二人の共同監督の一人、万能の天才スター、ジーン・ケリー


そのケリーのたっての望みで(フリードが推薦した彼の親友を退けてまで実現させたキャスト!)この映画のためにユニヴァーサルから招かれた、芸人一家に生まれ、天性のボードヴィリアンの才能を子役時代からの長い芸歴で磨きぬいた奇才、ドナルド・オコーナー。


役者であり監督でもあるケリーに対し、常にカメラの後ろに在って彼にアドバイスし、時に激しく火花を散らし議論してきたもう一人の共同監督、直前に同じくケリーとのコンビでアカデミー賞六部門受賞の名作『巴里のアメリカ人』を生んだスタンリー・ドーネン。


18歳にして初主演、そしてプロのダンサーでもない身でケリーの特訓に耐え抜き、全盛期を迎えていた異なる個性の二人の天才ダンサーと見事に渡り合いMGMの新たなるスターとなり、「私はキャシーそのものだった」と後に語ったデビー・レイノルズ。


終盤の豪華絢爛なナンバー「Broadway Ballet」で鮮烈な悪女の大役を演じて一挙に評価を高め、後にアステアと組み、傑作『バンド・ワゴン』、愉快な佳作『絹の靴下』に主演したシド・チャリシー。


夢のような外見と無惨な悪声、無知高慢の女優に為り切った名演で物語を支えた、美貌美声の演技派女優ジーン・ヘイゲン。


フリード・ユニットの中心人物にして、全てに自然な切り替えの工夫が緻密に為された、『雨に唄えば』各ナンバーの唄い出しの中でも群を抜く、「Singin' In The Rain」のそれを考案した天才。作曲・編曲の奇才にして共同プロデューサー、ロジャー・イーデンス。


見事にかの時代の衣装を再現し、そのあまりの素晴らしさに予定されていなかったファッションショーの場面が作られてしまった、衣装担当・ウォルター・プランケット。


・・・・・・そして、彼ら全ての中心たるMGM最大の立役者、アーサー・フリード
プロデューサーとしての初の本格的な仕事で『オズの魔法使』を切り回しMGMの創設者の一人ルイス・B・メイヤーの全幅の信頼を勝ち取った風雲児。
雨に唄えば』を彩る全ての名曲を生み出した華麗なる作詞者。
ジュディ・ガーランドを見出し、ケリーに最高の環境を提供し、若きスタンリー・ドーネンヴィンセント・ミネリを庇護育成し、作詞、作曲、脚本、撮影、美術------映画に関わるありとあらゆる才能を貪欲に招き寄せた、古今類を見ない名プロデューサー。


他のキャスト、他の製作スタッフにも、ミュージカル映画の歴史に輝かしい足跡を描いてきた、あるいは今後描くことになる名前が綺羅星の如く並びます。
即ち、フリード・ユニットこそは、『雨に唄えば』が描いたトーキー導入からの三十余年の年月が育んだ、ミュージカル映画の申し子に他ならないようです。

偉大なるMGM、その黄金の歴史の総決算

だが、『雨に唄えば』はその彼らだけが作った作品というに留まらず、更に巨きなものの精髄のようにも思えます。
現実から鮮やかに飛翔する夢を描くためにこそ、彼らは三十年の昔の忠実な考証をその土台とした。
それに狂喜したのが、かつてその激動の渦中に青春を過ごした、MGMで働く彼らの同志たちの父母たちだった。あの時代を語れる、そして、あの熱狂がスクリーン上で蘇る------。彼らが持てる記憶、知識、体験の全てをスタッフ達注ぎ込んだのはいうまでもありません。
即ち、このミュージカル映画史上最高の傑作は、草創期より常にその中心にあり続けたMGMの全ての歴史と情念を、その最良の精華達が、過去への誇りと現在の自身、未来への希望、全てを一つの作品へと結晶化させたものなのでは、と思えました。


この音声解説は、作品に込められたそうした事情を余すことなく伝えてくれます。
そして、バズ・ラーマンの参加に象徴される未来への意志は、こうした作品成立の過程を思うに付き、一層輝きを増してきます。
この解説もまた、歴史に残る傑作といえるでしょう(ただし、特典映像として当然のことですが、あえて、当然あったに違いない様々な暗い面や深刻なキャスト、スタッフ、経営陣などの間での衝突は深く触れることなく避けています。もっとも、この映画の解説にはそのやり方こそがよく似合います)。




以下、名曲揃いの『雨に唄えば』の中でも特に愛する曲についても触れていきます。

「Singin' In The Rain」〜それは余りに見事に計算し尽くされているので、むしろ自然に見えてしまう。



それは余りに見事に計算し尽くされているので、むしろ自然に見えてしまいます。


ダンスの中の個々の仕草---傘をささずに雨の中を歩く、その傘を振り回す、植木の柵を引っ掻く、街灯に飛び乗る、道行く見知らぬ人々に挨拶する、水たまりを跳ね歩く---は、気分の良い雨の日に、多くの人が心に描いたことのある行動だと思います。
それが次々に連なることで、堰を切って溢れる幸福感が、多重奏となって押し寄せてくる。
それは日常からかけ離れた幸福な異世界への飛翔ではなく。
それまでの日々に確かにあった幾つもの喜びが、手をつないで観る者の足元からせり上がり、包み込んでくる。


その幸福も、実に多くの要素を含みます。
中心に恋の歓喜があり、それに天啓ともいうべきアイディアを前にした芸術家の熱情、紋切り型の”スター"に押し込められているという自己嫌悪と俗悪な腐れ縁の相手役からの解放が重なり、彼の心は素晴らしい明日の予感に満たされています。


そして、それは新技術・トーキーによる、ハリウッドの更なる黄金時代の到来という時代の大きな流れとも合わさっていきます。
今は苦しくとも、明日は今より良くなるという希望を持つことが確かにできた時代。美しい今日、そして更に素晴らしき明日。
この映画こそ、そうしたアメリカン・ドリームの象徴であり、このナンバーこそ、その結晶に他なりません-------しかし、このナンバーを見ている間は、そんな大仰な理屈などどこかへ飛んでいきます。ただただ、幸せな気分になる。とことん理屈によって計算されながら、理屈を越えてしまったそのエネルギーは、この名場面が世界を永遠に魅了することを約束しています。


そして、そのラスト。
警官の登場。我に返るケリー。手にした傘を通りかかった男に渡し、軽く手を振り、歩み去っていく。
夢から醒める瞬間をも描かれることで、その夢はかえって強く染み渡る。
ケリーが自ら描いた、その完璧な構成!

「96年にケリーが亡くなった時に、アメリカのあるニュース番組はケリーの追悼映像としてこのシーンを解説や賞賛を一切交えずに最初から最後まで放映した」(映画サイト「素晴らしき哉、クラシック映画!」内「雨に唄えば Singin' in the Rain」より)のといいます。
それは不世出の大スター、ジーン・ケリーに捧げられた、最も相応しい哀悼であると共に、アステアと共に彼が象徴していた、世界が憧れた黄金のアメリカが歩み去り、二度とは帰らぬことへの尽きぬ哀惜の表現でもあったのでしょう。


・・・・・・そして、この名曲・名場面の素晴らしさに浸る時、それを恐るべき形で使ってみせた一人の巨匠の才能もまた、痛烈なる迫力を増して感じられます。


雨に唄えば』---1952年。
『時計仕掛けのオレンジ』---1971年。

世界の誰もが『ツァラトゥストラはかく語りき』を忘れられなくなった、3年後のことです。



「Make' Em Laugh」〜ドナルド・オコーナー讃歌



ケリーは最高のミュージカル・スターで、アステアは最も優美なダンサー、そしてドナルド・オコーナーは理想のボードビリアン
そして、彼の発散する力に惚れこんだケリーとスタッフ達が、その魅力をスクリーンに焼き付けるべく、フリードに唯一書き下ろしを依頼したのが、この「Make' Em Laugh」だと言われます(解説にもあったように、フリード自身も含め、誰もがコール・ポーターの『Be a Clown』のコピーだと認めた曲ではありますが)。


そして無論、オコーナーは彼らの期待を、予想を遥かに越える感嘆と爆笑へと変えてみせました。
昔も今も、このナンバーを観る人は、決して彼を忘れないでしょう。


「Singin' In The Rain」は最高のナンバー。何度観ても飽きることなどあり得ません。
しかし、私がそれよりも更に多く繰り返して観るのはこの「Make' Em Laugh」です。
見事に再現されたセットよりも衣装よりも、その時代からの伝統をその血肉に受け継ぐオコーナーの芸こそが、何より力強く30年前の空気を伝えています。
この血の一滴にまで芸人魂が染みこんだ奇才はその踊りだけでなく、その存在そのもので『雨に唄えば』を更なる名作にしています。


そして、「Singin' In The Rain」と「Make' Em Laugh」。
かくも喜びと幸福に満ちて、しかもそれぞれ強烈な個性を主張する二つの名曲は、そのまま、ジーン・ケリーとドナルド・オコーナーという天才・奇才の在り方そのもののようにも思えます。


音声解説でオコーナーが自ら語る、このナンバーの裏話も聞き逃せません。
二つの異なる個性それぞれの輝きと、この作品において互いに刺激しあい、高めあったその幸福なる関係を(まさにオコーナーに相応しく)限りなく楽しく、笑いを交えて伝えてくれます。


「Moses」「Fit As A Fiddle」〜史上最高のコンビ



「Moses」における二人は、男性ダンサーとして誰も及ばぬ名コンビだと思えます。
ジーグフェルド・フォーリーズ』『ザッツ・エンターテイメント?』でわずかに競演した二大巨頭、ジーン・ケリーフレッド・アステアが仮に全盛期に組んだとしても、これは越えられなかったのではないかとすら思えるほどに。

互いにその個性を取り入れつつ、自らのそれを強烈に主張する二人。
それでいながら、目線すら合わせることなく、その動きは驚くべき同調を見せます。
そしてそれが生み出すのは「これぞ芸術!」という硬い感銘ではなく、溢れる言葉と躍動する身体による、信じられないような愉快さ。言葉も年齢も性別も賢愚も、全てを超えて伝わる楽しさです。
二人の衣装の色彩の対比も、二人の個性に実によく合っています。


この場面の音声解説もまた、美しい。
そんな二人の姿と、それに感嘆する周囲の様子を心を込めて伝えてくれます。


「Fit As A Fiddle」も愉しくて愉しくて、好きにならずにはいられない一曲。
この数ヶ月、i-podでサントラ『Singin' In The Rain & Easter Parade』の曲を幾度となく聴いているのですが、中でも最も再生回数が多いのがこの曲です。


「Good Morning」〜デビー・レイノルズの度胸と才能



徹夜仕事のテーマソング・・・にしてしまっている曲。逢坂みえこ『ベル・エポック』でも読みながら聴きたい??


それにしても、それまでダンスの経験はそれなりに積んだものの、プロのダンサーですらなかった18歳の少女がいきなり抜擢され、恐るべき名人二人と組まされ、こんなに見事に付いて行っているというのは凄い。信じられない努力と、それ以上にその恐るべき度胸に感嘆せずにはいられません。


考えてもみてください。
「Make' Em Laugh」で鏡に駆け登りとんぼ返りを打つ、オコーナーの伝説的な場面を眼前に見せ付けられ。
「Singin' In The Rain」ではケリーの天才を焼き付けられた。
そして、「Moses」「Fit As A Fiddle」では、まるで二人は作中のロックウッドとコジモの如く、10年、20年とコンビ組み続けてきたかのようで。……それに加わる!?

「やれ!」といわれても出来やしませんよ。
いくらケリーがその性格と元ダンス教師という前歴から、経験のない新人を育てる天才(『巴里のアメリカ人』でもミュージカル経験のないバレエ・ダンサー、レスリー・キャロンを見事に育て上げました。ちなみに冒頭、ロックウッドの登場で失神する少女は彼女の特別出演!)で、厳しさと優しさ、飴と鞭を魔術的に使い分けてみせたとしても、物事には出来ることと出来ないことがあるでしょう。------ですが、彼女はそれを成し遂げましたた。
その意志の力と才能を思う時、彼女に拍手せずにはいられません。


解説でシド・チャリシーも「若い彼女には辛かったでしょう。何度も何度も泣いたと思うわ」と語っています。
そして、更に心を打つのは、その裏の苦しみを決して表に出すまいとし、その闘いに見事に打ち勝った輝くばかりのスクリーンの上の彼女の姿です。


「Broadway Ballet」〜ジーン・ケリーの大旋回!

何度観ても全てが感嘆のうちに過ぎて行くこの映画の中で、ただこの場面だけは少し長過ぎるように感じてしまいます。


しかし、ラスト近く、片手にシルクハット、片手にステッキで手の先までピンと伸ばし、少しずつ型をかえて三度豪快に繰り返す大旋回が好きで好きで、その部分だけ巻き戻して繰り返し観てしまいます。
アステアが度々みせる、手を軽く折り曲げ、決して体の軸をぶれさせない優雅な回転と実に対照的で、それぞれ優劣つけ難く魅力的で。


それと、シド・チャリシーは登場の場面などは抜群に魅力的ですが、このナンバーよりもアステアと組んだ、一年後の『バンド゙・ワゴン』(1953)や、更に数年後の『絹の靴下』(1957)の方が更に優れたダンサー、より美しい女優になっていたと思えます。


・・・・・・ただ、解説で知った、「この時彼女が出産直後だった」「彼女が煙草を吸ったのは生涯でこの映画のためだけ」というのには驚かされました。本当ですか!!